ハンサム・ウーマン 新島八重と明治の京都

ハンサム・ウーマン 新島八重と明治の京都 page 8/14

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48新島旧邸 地図P124京都市上京区寺町通丸太町上ル松蔭町市バス「河原町丸太町」から徒歩5分迎賓館(京都御苑内)  地図P124京都市上京区京都御苑内市バス「府立医大....

48新島旧邸 地図P124京都市上京区寺町通丸太町上ル松蔭町市バス「河原町丸太町」から徒歩5分迎賓館(京都御苑内)  地図P124京都市上京区京都御苑内市バス「府立医大前」から徒歩6分は少なく、新島が東京の主に掛け合ってやっと許可を得たのだった。 八重は、デイヴィス夫人に借りたウエディングドレスを身につけ、束そく髪はつを真ん中で2つに分け、洋靴を履いて式に臨んだ。列席者は、山本家、デイヴィス夫妻、同志社関係者など30数名のごく質素なものだったようだが、これが京都初のキリスト教様式による結婚式となった。新島夫妻は、この日から新しん烏からす丸ま頭かしら町ちょうにある新島の仮宅で新婚生活をはじめる。なお、2人の本宅が完成するのは、明治11年(1878)になってからで、現在の新島旧邸がそれだ。コロニアル・スタイルの木造2階建。2人はここで14年間一緒に暮らすことになる。新島旧邸襄が愛した梅の木(新島旧邸)