ハンサム・ウーマン 新島八重と明治の京都

ハンサム・ウーマン 新島八重と明治の京都 page 11/14

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51 同志社大学今出川キャンパス 地図P124京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町601市バス「烏丸今出川」「同志社前」から徒歩すぐせてある。どうぞ、お兄さんにご心配なさらないようにと伝えてください」....

51 同志社大学今出川キャンパス 地図P124京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町601市バス「烏丸今出川」「同志社前」から徒歩すぐせてある。どうぞ、お兄さんにご心配なさらないようにと伝えてください」と言った。その言葉を覚馬に伝えると、覚馬は「そうだ、同志社は神の御手にあるのだ。かならず栄えて行くに違いないのだ。それを忘れて新島さんのところへ見舞いにやったのは恥ずかしい」と感心したという。 以上は『新島八重子回想録』に出てくる話であるが、新島は、キリスト教の授業を禁止する京都府と、キリスト教の布教こそを主目的とするアメリカン・ボードの宣教師たちとの間で苦しい立場に立たされていたのは事実だろう(苦肉の策として、聖書は、校外に確保した30番教室と呼ばれる建物において、課外授業の形で教えられた)。 開校の翌年、同志社英学校は、覚馬から元薩摩藩邸の敷地の譲渡を受け、現在の今出川キャンパスの位置に移転。当地には次々と校舎が建てられるが、今見られる赤レンガの校舎のうち、新島の生前に着工したのは彰栄館、礼拝堂、有終館、ハリス理化学館の4つのみである。クラーク記念館