武田家三代年表帖 下巻

武田家三代年表帖 下巻 page 8/20

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西暦1573元亀4 4月16日武田勝頼、信玄の葬式を恵林寺で営む。18974月19日下総の結城晴朝(1534~1614)、北条氏政(1538~1590)の出陣に対して、北条弥五郎景広(高広の嫡男)(1548~1579)に救援を求める。18984....

西暦1573元亀4 4月16日武田勝頼、信玄の葬式を恵林寺で営む。18974月19日下総の結城晴朝(1534~1614)、北条氏政(1538~1590)の出陣に対して、北条弥五郎景広(高広の嫡男)(1548~1579)に救援を求める。18984月20日上杉謙信(1530~1578)、越中より越後に帰り、越中在陣の諸将に信濃方面等の情報を伝える。ついで、常陸の小田守もり治はる(1557~1610)に書を送り、武田信玄・北条氏政討滅のため、協力を求む。18994月23日武田勝頼(1546~1582)、信玄老臣・箕輪城代内藤昌秀(昌豊)(1522~1575)に同心・被官を安堵し、血判起請文を与え、懇切公正に遇することを約す。19004月25日中地山城(富山市大山町中地山)主・河上富とみ信のぶ(飛騨江馬輝盛家臣)、上杉謙信の将・河田長なが親ちか(1545 ?~1581)に、武田信玄病気・死去の風聞を報ず。19014月25日上杉謙信、越中から春日山城に帰還。19024月29日河田長親、上杉謙信に、信玄病気・死去の報を伝える。1903春今川氏うじ真ざね(1538~1615)、武田信玄が病に倒れるとの知らせを得たので、再び、徳川家康の許に行き庇護される。19045月6日武田勝頼、本願寺坊官下しもつ間ま頼らい廉れん(1537~1626)に返書を出し、「信玄」の名で「晴信」の朱印を捺おした書状を送って、遠江の平定を伝えた。19055月9日徳川家康(1543~1616)、信玄の死を確認するため、大井川を越えて武田領である駿河に入り、久能城の根小屋や駿府城下の岡部に放火。1906北条氏政38