武田家三代年表帖 下巻

武田家三代年表帖 下巻 page 2/20

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天文15年(1546)四郎(後の武田勝頼)、誕生。父は武田晴信(信玄)、母は信玄側室の諏訪御料人(乾福院殿)。信虎後期から晴信初期に同盟関係であった信....

天文15年(1546)四郎(後の武田勝頼)、誕生。父は武田晴信(信玄)、母は信玄側室の諏訪御料人(乾福院殿)。信虎後期から晴信初期に同盟関係であった信濃諏訪領主・諏訪頼重の娘である。武田氏は勝頼の祖父にあたる信虎期に諏訪氏と同盟関係にあったが、父の晴信(信玄)は天文10年(1541)6月14日に信虎を追放、28日、家督を相続すると諏訪氏とは手切れとなり、天文11年(1542)6月29日に諏訪へ侵攻する。7月21日には諏訪頼重。弟頼高ら諏訪一族は滅亡する。晴信は、9月の諏訪残党の高遠頼継らの反乱に対し、頼重の遺児・虎王丸(千代宮丸、長岌)を奉じて頼継を制圧する。ついで、諏訪遺臣を降伏させ、諏訪郡を完全に手中に収める。虎王丸は、信玄の妹・禰々の嫡子である。晴信は、同年12月、信州爾津神平の息女(実は諏訪頼重の娘、諏訪御料人)を、武武田勝頼の生涯2武田勝頼