武田家三代年表帖 下巻

武田家三代年表帖 下巻 page 17/20

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天正2 8月9日武田勝頼、高天神城攻略によって遠江支配の目途がついたことを示すため、武田氏に臣従した寺社に対して寺領を安堵する。20128月21日「謙信の第十五次関東遠征」。上杉謙信(1530~1578)、加賀地元勢力....

天正2 8月9日武田勝頼、高天神城攻略によって遠江支配の目途がついたことを示すため、武田氏に臣従した寺社に対して寺領を安堵する。20128月21日「謙信の第十五次関東遠征」。上杉謙信(1530~1578)、加賀地元勢力の要請によって春日山に帰国したが、直ぐに関東に出陣。20138月24日本願寺顕如光佐(1543~1592)、武田勝頼(1546~1582)に、伊勢長島への赴援を求める。20148月24日武田勝頼、駿府浅間社の神事再興を命じる。20159月7日伊勢長島後詰めの出陣の武田勝頼、遠江への攻撃を再開。■徳川家康(1543~1616)は、武田勝頼と天竜川を挟んで対峙するも、大きな戦闘に至らず。勝頼、天竜川まで至るが、兵を引く。20169月9日武田家臣山県昌景(1529~1575)、奥三河の菅沼伊賀守に100貫文の領地を与える約状を出す。20179月21日これより先、三河作手城(亀山城)主奥平定さだ能よし(1537~1599)・信昌(1555~1615)父子、武田勝頼に背きて徳川家康に通じ、同国滝山城(愛知県岡崎市宮崎町)に移る。■この日、勝頼の兵、之を撃ちて敗れる。奥平喜八郎信光(後の戸田加賀守信光)(?~?)、伊那郡大島在城中の勝頼に矢の根等を送る。20189月21日北条方の由良成繁(1506~1578)、この頃金山城(群馬県太田市金山町)で上杉軍と戦う。20199月29日「信長、長島一向一揆平定」。ついに、伊勢長島城(三重県桑名市長島町)、信長に降伏開城。20209月- 伊勢長島一向一揆討伐戦に勝利した織田信長(1534~1582)、この頃、滝川一益(1525~1586)に北伊勢五郡を与え、長島城(三重県桑名市長島町)に入れる。■滝川一益は、3度目の長島一向一揆鎮圧に九鬼嘉隆らと共に水軍を率い、海上から射撃を行うなどして織田軍を援護、この功による。202110月4日相模国の北条氏政(1538~1590)、武田勝頼(1546~1582)に遠江出陣の模様を聞く。202210月9日上杉謙信(1530~1578)、北条方と戦う安房里見氏に対し謙信は後詰として越山することを、里見氏の庇護を受ける太田康やす資すけ(1531~1581)に知らせる。202311月4日武田勝頼、下野佐野氏に書状を送り、家康の居城浜松を焼き払ったこと、久野(久能)(静岡県袋井市)・掛川攻撃のための付城がほぼ完成し、帰陣の見通しがついたことを伝える。202411月7日上杉謙信、この日、利根川を越え鉢形城下(埼玉県寄居町)を放火。202511月7日常陸の佐竹義重(1547~1612)、上杉方の北きた条じょう父子(高広、景広)へ戦況を知らせる。202611月- 上杉謙信、北条氏政の謀略にかかり上野新田(群馬県太田市)方面に転進。その後、下野小山(栃木県小山市)に進軍。202711月- 「小山会談」。上杉謙信(1530~1578)、佐竹義重(1547~1612)と意見決裂。202811月19日武田勝頼(1546~1582)、従兄弟の武田信豊(1549~1582)に、今後は独立した軍勢統率を命じる。202911月24日上杉謙信、この日再び渡河して、新田・館林・足利領を放火し、金山城(群馬県太田市金山町)に迫り、明日の小山張陣を下野の那須資すけ胤たね(?~1583)に伝え、参陣を要請する。2030西暦1574その時家康・景勝・氏政は、そして秀吉は、 武田家三代年表帖(下巻) 勝頼と真田一族の顛末47