武田家三代年表帖 下巻

武田家三代年表帖 下巻 page 15/20

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天正2 5月23日武田勝頼(1546~1582)、高天神城の小笠原氏助(長忠、信のぶ興おき)から申し出た講和条件を承認、開城条件を記した誓詞を与える。しかし、交渉はまとまらなかった。19895月28日高天神城援軍の織田信....

天正2 5月23日武田勝頼(1546~1582)、高天神城の小笠原氏助(長忠、信のぶ興おき)から申し出た講和条件を承認、開城条件を記した誓詞を与える。しかし、交渉はまとまらなかった。19895月28日高天神城援軍の織田信長、京からようやく、美濃国岐阜城に到着。19905月28日高天神城を包囲する武田勝頼、真田信綱に書状を送り、落城まで10日とかからないと見通しを伝える。併せて信綱の父・一徳斎(幸綱)の病状好転を喜ぶ。19915月30日上杉謙信(1530~1578)、関東における戦果と帰国予定を家臣直江景綱(1509 ?~1577)に伝える。また、上方における本願寺顕如の勢力拡大と信長の後退を聞き喜ぶ。19926月9日勝頼、高天神城付近の中村郷百姓に還住を命じる。19936月10日勝頼、高天神城の塔尾と号す曲輪を乗っ取る。残り本・二曲輪のみ。19946月11日武田勝頼は、遠江高天神城に、徳川家康の将・小笠原氏助(長忠、信のぶ興おき)を囲み、その戦況を佐久郡の大井高政に報ずる。19956月14日織田信長、ようやく、嫡男信忠と共に、遠江国高天神城救援のために美濃国岐阜城を出陣。19966月17日信長、三河国吉田城(愛知県豊橋市今橋町)へ着陣。19976月17日「第一次高天神城の戦い」。徳川方高天神城、降伏を決める。19986月18日武田方・岡部次郎右衛門尉正綱(1542~1584)が、二曲輪を占領。高天神城は本曲輪のみ。1999西暦1574幸隆夫妻・昌幸の墓(長野県上田市真田町長4646 長谷寺)c上田市その時家康・景勝・氏政は、そして秀吉は、 武田家三代年表帖(下巻) 勝頼と真田一族の顛末45