武田家三代年表帖 下巻

武田家三代年表帖 下巻 page 10/20

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元亀4 7月18日「室町幕府、滅亡」。織田信長(1534~1582)、巳刻に山城国槙島城への攻撃を開始し焼き打ちする。将軍足利義昭(1537~1597)、足利義ぎ 尋じん(義昭嫡男)(1572~1605)を人質として提出して山城国....

元亀4 7月18日「室町幕府、滅亡」。織田信長(1534~1582)、巳刻に山城国槙島城への攻撃を開始し焼き打ちする。将軍足利義昭(1537~1597)、足利義ぎ 尋じん(義昭嫡男)(1572~1605)を人質として提出して山城国枇杷庄(現京都府城陽市)へ退く。19227月20日徳川家康(1543~1616)、武田軍本国撤退の間隙をぬって、長篠城(愛知県新城市長篠)を攻撃。19237月23日この日、長篠へ徳川勢が来襲したので、武田勝頼は援軍の派遣を決定。1924天正1 7月28日この日、「天正」と改元される。■21日、信長(1534~1582)は正おお親ぎ 町まち天皇(1517~1593)に「元号を変えよ」と、前代未聞の要求を突きつけた。信長は自分が天皇より力があることを見せ付ける為に、天皇交代時の神事“改元”を命じた。19257月30日武田勝頼(1546~1582)、長篠城籠城の奥平定さだ能よし(1537~1599)・貞昌(1555~1615)父子に、武藤喜兵衛(のちの真田昌幸)(1547~1611)と三枝守友(昌貞)(1537~1575)が後詰の出陣したことを伝える。あらゆることを皆で話し合い、堅固に守備するよう命じ、また武田軍本隊も近日中に甲府を発つと伝えた。19268月1日長尾憲のり景かげ(1511~1583)・北条高広(1517 ?~1587 ?)、北条氏政の動向を上杉謙信に知らせ、越山を要請する。19278月- 上杉謙信、越中・加賀に侵攻。加賀一向一揆に圧力。19288月10日上杉謙信(1530~1578)、加賀・越中国境の朝日山城(石川県金沢市加賀朝日町)を攻めるが、一向衆の鉄砲攻撃に苦戦する。19298月- 武田勝頼、武田氏に縁のある勢力・寺社に対して、正式に家督相続を伝える。1930西暦1573奥平貞能40