杉家の女たち

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寅次郎が、松下村塾を主宰したのは僅か2年足らずであるが、その間に約90名の塾生を教えている。のちに名を成す主な人物を上げてみると、高杉晋し ん作さく、久坂玄げ ん瑞ずい、吉田栄太郎( 稔と し麿まろ)、入江....

寅次郎が、松下村塾を主宰したのは僅か2年足らずであるが、その間に約90名の塾生を教えている。のちに名を成す主な人物を上げてみると、高杉晋し ん作さく、久坂玄げ ん瑞ずい、吉田栄太郎( 稔と し麿まろ)、入江杉蔵(九一)、寺島忠三郎、伊藤利助( 博ひ ろ文ぶみ)、山形小助( 有あ り朋とも)、品川弥や二じ郎ろう、山田顕あ き義よし、佐世八十郎(前原一い っ誠せい)、赤あ か禰ね武たけ人と、時山直八、河北義次郎、野村和わ作さく(靖)、杉山松助、松浦亀太郎( 松しょう洞どう)、山根孝こう中ちゅう、横山幾太、渡辺蒿こう蔵ぞう、飯田俊と し徳のり、滝弥太郎、木梨信一、国く に司し仙吉、境二郎、妻木寿ひ さ之の進しん、正木退蔵、松本鼎かなえなどである。ほとんどがまだ10代の若者であった。さて、この頃杉家で暮らしていた女子は四女の文だけだった。長女・千代、二女・寿は、すでに結婚して家を出ていた。文は14歳になっていた。思春期に差し掛かったところで、松下村塾の大勢の塾生がどっと家に出入りするようになったのである。塾生の中には、塾に寄宿する者もあれば、昼夜とも食事を塾で取る者もあった。そうした塾生の面倒を、瀧は我が子のようにみた。もちろん文も、梅太郎夫人の亀とともにその手伝いをした。兵学教練の野外実習の時には風呂を沸かし、冬の討論会の際には、火鉢に火を起こして、煎り豆やかき餅を焼いた。そうこうするうちに、文は塾生たちとも徐々に言葉を交わすようになった。ただ、文はどちらかといえば大人しい性格だったから、彼らと打ち解けた会話がで104