新選組おもしろばなし百話

新選組おもしろばなし百話 page 13/20

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132近藤勇は何故、浪士隊に参加したのか 文久3年(1863)1月7日、清河八郎のアイデアで幕府は「浪士隊」の募集を始めた。この情報をいち早く聞き近藤勇に報告したのは永倉新八だった様である。永倉は試衛館の面々を....

132近藤勇は何故、浪士隊に参加したのか 文久3年(1863)1月7日、清河八郎のアイデアで幕府は「浪士隊」の募集を始めた。この情報をいち早く聞き近藤勇に報告したのは永倉新八だった様である。永倉は試衛館の面々を前にして説いた。「公儀では広く天下の志士を募り、攘夷を決行するとのことである。我らも進んで一味となり、日頃の“うっぷん”(ストレス)を晴らそうではないか」と言う。そして一同、一にも二も無く賛同し、更に詳しく話を聞こうと、牛込二合半坂の講武所剣術教授方・浪士取扱松平上総介忠敏(1818 ~ 1882)の屋敷へ、うち揃って出掛けた。上総介は一行を客間に通し、攘夷の本旨から説き始めて、この度の浪士募集は来春上洛する将軍の警備のためである事をしっかりと話した。一同、近藤を筆頭に賛同し、その場で参加を確約して道場に戻ると「いよ々我らの活躍の時が来た」と、一同祝盃をあげた。 近藤だけは甘党ゆえの大福餅を食べながら、一同が大言壮語する有様を嬉しそうに見入っていた。幕府の浪士募集は、江戸の“喰い詰め浪人”にとって一大チャンスであったが、近藤の場合は、道場主で経営者、客筋は多摩地方の豪農や豪商で「パトロン的存在」でこの地方に門人近藤勇新選組結成前