新選組おもしろばなし百話

新選組おもしろばなし百話 page 11/20

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11れは、日頃から八郎をマークしていた町方同心の手先で、幕府方は、これはチャンスと八郎を殺人犯として追う。八郎は危ないところで逃れたが、妾のお蓮れんや、弟(7才下の三男)の熊三郎、その他が捕えられて江戸....

11れは、日頃から八郎をマークしていた町方同心の手先で、幕府方は、これはチャンスと八郎を殺人犯として追う。八郎は危ないところで逃れたが、妾のお蓮れんや、弟(7才下の三男)の熊三郎、その他が捕えられて江戸には住めなくなった。非常にイケメンで弁舌も爽やかで、押し出しもよかった。大層女好きである。天下回遊の旅に、「女買い」して諸国の人情を知るには、「女郎屋に遊ぶに限る」と言う様な事を日記に書いている。 この英雄も捕ほ吏りの探索には音を上げて、永代橋から投身自殺をしたふりをして逃走した。九州では、攘夷決行を遊説し同志を募つのった。彼の計画では田中河内介らと共に青蓮院宮を奉じて挙兵し、攘夷を決行するという事である。薩摩の「精忠組」とも気脈を通じた。そのころ島津久光が兵を率いて、上洛し攘夷の挙兵を決行するとの噂があった。八郎は大いに喜び、同志と共に大坂の島津藩邸に入った。だが、彼の傲ごう慢まん不ふ遜そんな態度が災いして、薩摩屋敷を去らねばならなくなった。しかし、これによって文久2年(1862)4月23日の「寺田屋騒動」に巻き込まれずに済んだ。これまでの彼の計画は全て不発に終わった。時期尚早であった。  八郎は「ただもの」ではない。彼だけにしかやれない離れ業を演じた。それは幕府に浪士を組織して、攘夷と将軍の上洛の時の「非常の警備」にあてる事を建けん白ぱくした。この幕府に売り込んだ事で、同志の不信を買ったが、自清河八郎新選組結成前