新選組おもしろばなし百話

新選組おもしろばなし百話 page 10/20

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10◆新選組結成前1巨魁 清河八郎の暗殺「新選組ルーツの巨人」 幕末、浪人の中で目を見張る様な働きをした者として一人を上げるなら、清きよ河かわ八はち郎ろう(1830 ~ 1863)を忘れる事は出来ない。又、彼は尊....

10◆新選組結成前1巨魁 清河八郎の暗殺「新選組ルーツの巨人」 幕末、浪人の中で目を見張る様な働きをした者として一人を上げるなら、清きよ河かわ八はち郎ろう(1830 ~ 1863)を忘れる事は出来ない。又、彼は尊王攘夷浪士の中でも数少ない東北出身である。その働き、その才さい幹かんに比して人気が無いのは、はなはだ不思議である。 八郎は天保元年、山形の清川(山形県東田川郡庄内町)に生れる。最上川が谷沢川の支流を合わせる地である。本名は斉藤元もと司じ。家は名字帯刀を許された家柄で酒造業を営んでいた。17才の時に江戸へ出て、儒教者東条一いち堂どう、朱子学者安あ積さか艮ごん斉さいの門に学び、千葉周作の玄武館で剣を学んだ。一時は幕府の最高学府「昌しょう平へい黌こう」に籍を置いた。25才の時、京都、大坂に遊んで熱烈な尊王攘夷主義者となった。江戸三河町、のち、お玉池に私塾「清河塾」を開いた。25才で江戸に塾を、大した自信である。その頃、「清河八郎」と名乗る様になった。出身地の清川村からで、「川」より大きい「河」を選んだ。天下に類の無い英雄との自負心があった。日本の開国と井伊の弾圧政治の時代、塾は血気青年の集会所となった。その中に義兄弟となる安あ積づみ五郎や、幕臣の山岡鉄舟、薩摩の伊い牟む田だ尚しょう平へい、桶おけ渡わたり八兵衛、神田橋直助がいる。この薩摩の三人が米国公使館員「ヒュースケン」を暗殺している。清河はその頃、江戸攘夷指導者の一人として、幕府にマークされ、安政7年(1860)「桜田門外の変」でも犯人と関係があると目されていた。八郎は横浜の異人館、江戸の公使館の焼き討ちを計画したが、その会合の帰り、酔っぱらった町人にからまれて、斬り捨てた。文久元年(1861)のことである。こ新選組結成前