続・戦国おもしろばなし百話

続・戦国おもしろばなし百話 page 11/24

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11こには無論、強烈なバイタリティーが作用しているのは言うまでも無いが、世の中を動かす者にはそれなりに天の助力がある。使命感は気力を増し、死神を追い払う。 早雲の出自については異説が多い。近頃、早雲の研....

11こには無論、強烈なバイタリティーが作用しているのは言うまでも無いが、世の中を動かす者にはそれなりに天の助力がある。使命感は気力を増し、死神を追い払う。 早雲の出自については異説が多い。近頃、早雲の研究者が増え、新説が出ている様であるが、大体定説とされている伊勢平氏を追ってみる事にする。定説では、早雲は後に小田原北条氏で付けられた姓名で、実は伊勢新九郎。出家してからも早そう雲うん庵あん宗そう瑞ずいと号し、名乗りも『軍記物語』には、氏うじ茂しげ、長なが氏うじ、盛もり時ときと称している。伊勢の古書『勢せい陽よう五ご鈴れい遺い響きょう』や『鈴鹿関町史』は平氏(伊勢平氏)の名流、関一族(亀山城主)の関盛定の子、盛時としている。 「応仁の乱」の少し前、室町幕府八代将軍足利義政の弟、そして北ほう条じょう早そう雲うん長なが氏うじ(1432 ?/ 1456 ?~ 1519)である。何れも下げ剋こく上じょうによって、のし上がった時代の代表的な人物である。下剋上は、戦国を現出した知らせであり、そこに土から噴き上げた野生の情熱と改革の必然があった。 早雲の正確な生年は不明である。永えい亨きょう4年(1432)となっているのを一応信じると死んだのは88才。彼の行動が歴史の表面に現れるのは40才を過ぎてからである。従って当時の平均寿命の50才ではとても死に切れない。人間は何か事を為す者はその事が終わるまで死な無い様に出来ているかの様に思われるのである。そ北条早雲戦国武将