続・戦国おもしろばなし百話

続・戦国おもしろばなし百話 page 10/24

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101謎の男、乱世の風雲児、北条早雲の出身地はどこか JR宇治駅から、宇治田原行きのバスに乗る。一説には“北ほう条じょう早そう雲うん”は宇治の山里、宇治田原に生れたのだと言われている。京阪バス「維い中ち....

101謎の男、乱世の風雲児、北条早雲の出身地はどこか JR宇治駅から、宇治田原行きのバスに乗る。一説には“北ほう条じょう早そう雲うん”は宇治の山里、宇治田原に生れたのだと言われている。京阪バス「維い中ちゅう前まえ」で下車し徒歩20分、まず信西入道塚(京都府綴喜郡宇治田原町大字立川小字宮ノ前)を訪れる。平へい治じ元年(1160)12月9日「平治の乱」の際、いち早く危険を感じた藤原信しん西ぜい入にゅう道どう(1106 ~ 1160)は、自分の所領であるこの山奥の宇治田原に京より逃れたが、所領の高官である彼の顔を知る村民は皆無で、隠れる家も見付からず山野に穴を掘って隠れたが、宇治木こ幡はたの里で信西の家来が源義よし朝ともの探索隊に捕まり、宇治田原潜伏が判明し、首しゅ級きゅうを捕られ京の円町の獄門に晒された。 さて、ここから家康伊賀越えの黒豆坂へウォーク、途中に早雲(伊勢新九郎)の生家跡がある。戦国時代と後の世に呼ばれる室町期は、その動乱による混沌の故に、最も人間が生き生きしていた時代でもある。平安朝以来の束縛から解放されて自由にものを見、ものを考え、思う様に生きた時代である。制約が無いということは安あん穏のんには生きられない訳であるが、男が最も男らしく生きるにはこれ程いい時代は無い。そこには精一杯生きても頭がつかえる天井も無く、大声を出しても苦情の出る隣家も無い、力の限り荒野を生きる事が出来た。そこから近世が生まれた。工芸の分野でも多くのものが生み出された。理由の一つはその自由な空気が幸いしたのであった。政治では実力時代が来る。氏うじ、素す性じょうが危うくても支配者階級にのし上がる事ができる様になった。戦国の世に年代的にズレはあるが、この怪しき生れで著名な者が三人いる。 後の方から上げれば松永弾だん正じょう久ひさ秀ひで(1510? ~ 1577)、斉藤道どう三さん秀ひで竜たつ(1494? ~ 1556)、戦国武将