戦国おもしろばなし百話

戦国おもしろばなし百話 page 19/22

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89三 秀吉の話 杉原家次は、杉原家利の長男。秀吉の正室・おね(高台院)の母・朝日殿の兄で、伯父に当たる。『祖父物語』によれば前歴は連雀商人(行商人)であったというが、その縁から一門衆として仕え....

89三 秀吉の話 杉原家次は、杉原家利の長男。秀吉の正室・おね(高台院)の母・朝日殿の兄で、伯父に当たる。『祖父物語』によれば前歴は連雀商人(行商人)であったというが、その縁から一門衆として仕え、秀吉が長浜城主に立身出世するとその家老となった。この頃の『竹生島奉加帳』を見ると、寄進した10石というのは家臣内で家次が一番多く、すでに筆頭格であった。天正5年(1577)10月からはじまった中国攻めに従軍し、播磨国三木城や備中高松城の攻略後に、その城を受け取る正使となり城代を任されていて、天正10年(1582)6月の「中国大返し」の際には高松城の留守居として殿軍を務めた。「長久手合戦」の池田勝入は何故討死したのか 天正12年(1584)4月9日の長久手の合戦は、今より430 年前ほどの合戦で「小牧・長久手の合戦」と呼ばれる。秀吉唯一の敗戦である。秀吉の武将・池田勝しょう入にゅう(恒つね興おき)(大垣城主)(1536 ~ 1584)と家康(1543 ~ 1616)の合戦である。 小牧の対陣は有名で、秀吉は6万とも8万ともいう大軍で犬山城に参陣していた。それに対して家康は、織高松城跡玉藻公園(香川県高松市)