戦国おもしろばなし百話

戦国おもしろばなし百話 page 16/22

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86 こんな話も残る。正勝祖父・蜂須賀正成の頃、一人の「油売り」が門前で倒れていた。正成は、助け入れて食を与え介抱した。何年か経って「西村」という武士が訪ねて来た。あの「油売り」だった。何時ぞやの礼をと....

86 こんな話も残る。正勝祖父・蜂須賀正成の頃、一人の「油売り」が門前で倒れていた。正成は、助け入れて食を与え介抱した。何年か経って「西村」という武士が訪ねて来た。あの「油売り」だった。何時ぞやの礼をと言って米3石を届け「生きている限り送らせて貰う」と約束した。以来、年1度米3石が送られて来た。この人が「斎藤道三」なのだった。この斎藤道三は、その父の長井新左衛門尉(松波庄五郎)と思われる。 天文年間に入り、信長が勢力を拡大してきた。“反信長”美濃系統の土豪である“小六一党”は当然ながら、不遇、不運に沈潜しなければならなかった。彼(正勝)は、どうやら斎藤道三(1494? ~ 1556)その人に付き従っていた様である。弘治2年(1556)4月20日、道三が息子の義龍(1527 ~ 1561)に討たれた後、斎藤家を離れ、岩倉織田、犬山織田と次々と信長に滅ぼされる家に付いていた。 さて、小六(正勝)の出番がやって来た。信長の下で足軽組頭に出世していた秀吉が蜂須賀村に来た。鵜う沼ぬま、猿塚に斎藤方の強兵が居る。この攻略に小六の協力を頼んだ。時に小六36歳、秀吉28歳。小六一党は、年が明けてから秀吉陣営に参加した。一党は少人数だったが、秀吉の初めての“直属の部下”となった。 秀吉の困惑している所に、小六はこう言った「やらねばならぬ事は、単身そなたが乗り込んで理非利害を説く事である。但し、命の保証は無い」…。小六は、「大沢」という男の性格をちゃんと知っていた。性剛強で勇猛だが義ぎ侠きょうに感じやすい。なかなかの事で動かないが“命を捨てる覚悟”で懸かれば諒りよう解かいしない訳でも無い。 秀吉は、鵜沼城(岐阜県各務原市鵜沼南町)に乗り込み大沢次郎左衛門基もと泰やすに会い、ここで秀吉は“一席”弁じたが、大沢はその場で秀吉を捕えてしまった。人質となったのである。 「俺を殺せば、信長公が大軍をもって攻め寄せ一族郎党皆殺しにするだろう。」秀吉は力んだものの、おいそれとは、信長は現れないだろう。大沢もその事は考えていただろう。 そんな中に事態が変わった。織田の大軍が攻め寄りじりじり城を包囲しているという。なるほど大軍である。