戦国の女

戦国の女 page 20/22

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20うに明るく穏やかな人柄で、信玄とも仲睦ましかった」と書き残している。天文七年(一五三八) 以降、彼女は立て続けに信玄の子を産む。義よ し信のぶ、黄お う梅ばい院いん、龍りゅう宝ほう( 信の ぶ親ちか)、....

20うに明るく穏やかな人柄で、信玄とも仲睦ましかった」と書き残している。天文七年(一五三八) 以降、彼女は立て続けに信玄の子を産む。義よ し信のぶ、黄お う梅ばい院いん、龍りゅう宝ほう( 信の ぶ親ちか)、信のぶ之ゆき、見け ん性しょう院いんの三男二女である。しかし、彼女の子供たちには、いずれも悲劇的な運命が用意されていた。二男・龍宝は病気により失明、三男・信之は早世、長女・黄梅院は嫁ぎ先の北条氏から離縁され、長男・義信は謀反の疑いで幽閉されたのちに死亡。二女・見性院は嫁ぎ先の穴山信の ぶ君ただ( 梅ば い雪せつ) が武田氏を裏切り、武田氏の滅亡に手を貸すことになるのだ。三条夫人との政略結婚が効果を表したのは、信玄の上杉氏対策においてであった。信玄は北信濃の領有をめぐり、天文二十二年(一五五三) から永禄七年(一五六四) の間に、五回にわたって越後の上杉謙信と戦った。歴史上名高い、甲斐の虎(信玄)と越後の龍(謙信) による川中島の戦いである。しかし、両者の決着は容易に付かず、元げ ん亀き三年(一五七二)、信玄は十五代将軍・足利義昭の呼びかけに応じ、織田信長討伐のため西上作戦を実行に移した。その間に背後を謙信に突かれないよう、信玄は顕如に要請して、越え っ中ちゅうで一向一揆を起こさせ、謙信を足止めにさせたといわれる。そして、顕如が信玄の頼みを聞き入れたのは、三条夫人の妹(如春尼) が、顕如に嫁いでいたから、というわけである。