戦国の女

戦国の女 page 16/22

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16武田信玄が最初に娶った女上杉朝興の娘(?~一五三四)天文二年(一五三三)、武田信虎は嫡男・武田信玄(一五二一~一五七三)の正室として、扇谷上杉氏当主・上杉朝と も興おきの娘を正室に迎える。当時関東で....

16武田信玄が最初に娶った女上杉朝興の娘(?~一五三四)天文二年(一五三三)、武田信虎は嫡男・武田信玄(一五二一~一五七三)の正室として、扇谷上杉氏当主・上杉朝と も興おきの娘を正室に迎える。当時関東では、古河公方(鎌倉公方の後身) をはじめ、関東管領の山内上杉氏、その分家に当たる扇谷山内氏、新興の北条氏などが、諸勢力を巻き込んで、離合集散を繰り返しながら争っていた。室町幕府は、関東の統治機関として鎌倉公方(鎌倉府) を置き、それを補佐する目的で関東管領という役職をもうけた。古河公方とは、享きょう徳とく四年(一四五五)、関東管領の山内上杉氏と対立する五代鎌倉公方・足利成し げ氏うじが、山内上杉氏を支援する将軍・足利義よ し政まさの攻撃を受け、下し も総うさ国の古河に遷って本拠としたものである。三年後、義政は弟・足利政ま さ知ともを鎌倉公方に任じるが、政知は鎌倉に入れず、伊豆の堀ほ り越こしを本拠としたため、堀越公方と呼ばれた。以後、古河公方は、堀越公方・関東管領と三十年近くにわたって戦いを続けた(享徳の乱)。文明十四年(一四八三)、両者は和睦したが、堀越公方は明め い応おう四年(一四九五)、伊い勢せ盛もり時とき(のちの北条早そ う雲うん) に攻められ滅んだため、公方の分裂状態は解消した。