戦国の女

戦国の女 page 15/22

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15武田氏この頃には悪化していたからかもしれない。ともあれ、彼女はその後も躑躅ヶ崎館の御隠居曲く る輪わに住み、十九代当主となった息子・信玄に対して叱咤激励を惜しまなかったという。長ちょう禅ぜん寺じの岐....

15武田氏この頃には悪化していたからかもしれない。ともあれ、彼女はその後も躑躅ヶ崎館の御隠居曲く る輪わに住み、十九代当主となった息子・信玄に対して叱咤激励を惜しまなかったという。長ちょう禅ぜん寺じの岐ぎ秀しゅう元げん伯ぱくを信玄の学問の師に選んだのも、信濃侵攻を本格化させた信玄が、天文十七年(一五四八) の上う え田だ原はらの合戦で村上義よ し清きよに大敗した際、茫然自失の信玄に早期の帰陣を促したのも彼女だったといわれる。信玄に意見するぐらいだから、もともと聡明で、意志の強い女性だったのだろう。天文二十一年(一五五二)、大井の方は五十六年の人生に幕を降ろした。夫と別れて暮らすようになって十一年が経っていた。その訃ふ報ほうを信虎は京都で聞いたはずである。信虎は、永禄三年(一五六〇) に桶お け狭は間ざまの戦いで今川義元が尾張の織田信長に討たれると、駿河を離れ京都の、信玄の正室・三条夫人の実家である三条家を頼った。この年には、信虎の九女が京都の公家・菊き く亭てい晴はる季すえの元に嫁いでおり、娘が近くにいるというのも、信虎にとって心強かったのだろう。天正元年(一五七三)、信虎との和解は成らぬまま、信玄が死去。その翌年、信虎は大井の方との息子・信廉の居城である、信濃国伊い那な谷だにの高た か遠とお城に身を寄せるが、同年その地で死んだ。享年八十一。