戦国の女

戦国の女 page 10/22

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10甲か斐い(山梨県)の戦国大名・武田氏の起源は、平安時代末の清せ い和わ源げん氏じの一流・河内源氏に遡さかのぼる。南北朝時代に甲斐国の守護となり、十六世紀の十八代信の ぶ虎とらの時代に信濃(長野県)に侵....

10甲か斐い(山梨県)の戦国大名・武田氏の起源は、平安時代末の清せ い和わ源げん氏じの一流・河内源氏に遡さかのぼる。南北朝時代に甲斐国の守護となり、十六世紀の十八代信の ぶ虎とらの時代に信濃(長野県)に侵攻、十九代信しん玄げんの時代には、駿す る河が(静岡県中部)の今川氏、相さ が模み(神奈川県)の北条氏と同盟を結び、信濃の領土を拡大した。また、その過程で、越え ち後ご(新潟県)の上杉氏と五回にわたって、北信濃で武力衝突した( 川か わ中なか島じまの戦い)。永えい禄ろく十一年(一五六八)、今川氏の衰退に乗じて駿河に侵入し、全盛期には信濃のほか上こ う野ずけ(群馬県)、駿河、遠とおと江うみ(静岡県西部)、三み河かわ(愛知県東部)、美み濃の(岐阜県南部)の一部を支配下に置いた。元げ ん亀き三年(一五七二)、将軍足あ し利かが義よし昭あきの信長討伐令に応じ西上作戦を開始、遠江から三河に攻め入るが、翌年、信玄の病状悪化のため甲斐へ引き返すこととなり、その途上、信濃の駒こまん場ばで信玄は死亡した。二十代勝かつ頼よりの時代になると、天正三年(一五七五)の長な が篠しのの戦いで織田・徳川連合軍に大敗、多くの重臣を失う。天正十年(一五八二)、織田氏の侵攻を受けた勝頼は、天てん目もく山ざんの戦いに敗れて、嫡男信のぶ勝かつとともに自害、武田氏は滅亡した。