真田幸村時代のおもしろばなし百話

真田幸村時代のおもしろばなし百話 page 20/26

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20りにはがっくりと項うな垂だれて、物を云う者さえ無くなった。「敵は木曽口・伊奈口のみならず、駿河口からもやってくることになったのだな!!」、跡あと部べ勝かつ....

20りにはがっくりと項うな垂だれて、物を云う者さえ無くなった。「敵は木曽口・伊奈口のみならず、駿河口からもやってくることになったのだな!!」、跡あと部べ勝かつ資すけが一言洩らしたが、駿河口からやってくるということは直接甲か斐いが攻撃を受けるという意味であった。しかもその先方衆が同族の穴山梅雪である。「もう駄目だ」とほとんどの将は思っていた。もう武田は滅びるしかない。武田が滅びたら自分や家族はどうなるだろうか。そのことを考えると軍議どころではなかった。「上杉様から御使者が参られました」と軍議の席に報ずる者があった。使者は上杉景かげ勝かつの書状を持っていた。天正7年(1579)勝頼の妹於お菊ぎくを正室として受け入れた上杉景勝は勝頼に好意を持っていた。おそらく木曽義よし昌まさの謀反、織田軍来攻を報じた書状に対する回答と思われた。勝頼は書状を紐解いた。『木躑躅ヶ崎館跡に建つ武田神社