真田幸村時代のおもしろばなし百話

真田幸村時代のおもしろばなし百話 page 19/26

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19一 真田の一族あったいうから面白い。合戦が始まって間もなく、峠の上から見ている信玄の前で、北条氏照の陣から出てきた一人の白い羽織の武将が勝頼の部下と槍を合わせて、めざましい働きをしていた。信玄はその....

19一 真田の一族あったいうから面白い。合戦が始まって間もなく、峠の上から見ている信玄の前で、北条氏照の陣から出てきた一人の白い羽織の武将が勝頼の部下と槍を合わせて、めざましい働きをしていた。信玄はその働きぶりを気に入った。このままではどんなに強くても討死してしまうだろうと、伊藤玄蕃、鮎川甚兵衛、中間頭・原大隅守、石坂勘兵衛の4人を呼び「一人は勝頼の備えに行って討つなと申せ。一人はあの者と槍を合わせよ。二人は脇から組み付いて生捕りにして参れ」と命じた。4人は命の通りにこの武者を手拭いで縛って連れて来た。名前を聞くと悪びれずに北条氏照の家人・大おお石いし遠とおと江うみと答えた。有名な大だい剛ごうの士なので、信玄は彼を伴って甲府に帰り家人にしたが、その2年後、北条と武田の和睦が成立した際に北条家へ送り返された。信繁(幸村)の父昌幸は、この頃から活躍をはじめていたのである。4昌幸は最後まで武田家を支えた(新田次郎の『武田信玄』「武田最後の軍議」より) 辰の刻(午前8時)の軍議には、武田信のぶ豊とよと武田逍しょう遥よう軒けんの二人の御親類衆は依然として参加しなかった。やむなく勝かつ頼よりは迎えの兵を二人の邸に向けたほどであった。軍議は半刻ほど遅れて開かれ、劈へき頭とう、穴あな山やま梅ばい雪せつの裏切りの報告がなされると、最初は信じがたいような顔をしていた諸将も終真田家三代