真田幸村時代のおもしろばなし百話

真田幸村時代のおもしろばなし百話 page 17/26

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17一 真田の一族上した。津つ久く井い郡ぐんから甲州の都つ留る郡ぐんに入って、甲府へ戻ろうというのである。前面の三み増ます方向の様子を探ると、先に包囲攻撃した北条氏邦、氏照が中心となって忍おし衆、深川衆....

17一 真田の一族上した。津つ久く井い郡ぐんから甲州の都つ留る郡ぐんに入って、甲府へ戻ろうというのである。前面の三み増ます方向の様子を探ると、先に包囲攻撃した北条氏邦、氏照が中心となって忍おし衆、深川衆、江戸川衆など、2万余が三増峠に陣取って帰途を遮さえぎっているという。信玄は一戦交えることにした。戦って勝たなければ、士気が上がらないのだ。彼は全軍に「小田原の氏康・氏政父子さえ恐れて出てこなかったのに、その伜せがれどもと雑党では何ができよう。一戦で追い払え。我が軍の勝利は疑いない。」と命令を伝え、5日、三増の村に着いた。付近に居た北条勢の一部は中津川を越えて退去し、近くの半はん原ばら山やまに登って陣を敷いた。信玄はこの村の民家で合戦の備えを立てた。まず内藤修しゅ理りに小こ荷に駄だ奉ぶ行ぎょうを命じた。小荷駄はいうまでもなく、武器、弾薬、食糧、その他の輸送隊で敵を打ち破って通る。このような合戦では無事に届けさせるのが何より大事である。小荷駄隊が破られると全員の戦闘力が激滅する。修理はしかし、「自分は西上野の郡代でもあるので小荷駄奉行は気が進まない」と難色を示したが、信玄はこの重要性を説いて納得させた。作戦の内容は次のようだった。木幡尾張守には手兵を率いて北条方の津つ久く井い城じょうに向かわせ、山県三郎兵衛ら8人の侍大将を遊軍として志し田だ峠とうげに繋かからせる。三増峠の中央部を押し通るのは戦いくさ上手の馬ば場ば美み濃のの守かみ、武田勝頼、浅あさ利り右う馬まの助すけの三頭を中心とする本隊。信玄は旗本をはじめ、残りの兵を15備えに分け、これを指揮して横よこ脇わきから三増峠の高所に登り、中央部隊とあとに続く小荷駄隊の通過を援護する。なお、馬場隊には武藤喜兵衛(真田昌幸)、勝頼隊には三さえ枝ぐさ善ぜん右え衛門もん、浅利隊には曽根下野守という旗本の秀才をおくって実戦に真田家三代