真田幸村時代のおもしろばなし百話

真田幸村時代のおもしろばなし百話 page 16/26

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16月1日小田原に着くと大々的に放火行動に入った。北条氏うじ康やすは諸方に兵を派遣していた。虚を衝かれたため守備勢が少なく、7?8千にすぎなかった。だが城は8年前の永禄4年(1561)3月、....

16月1日小田原に着くと大々的に放火行動に入った。北条氏うじ康やすは諸方に兵を派遣していた。虚を衝かれたため守備勢が少なく、7?8千にすぎなかった。だが城は8年前の永禄4年(1561)3月、謙信が数万の兵で攻撃しても落ちなかった堅けん城じょうである。守備兵が少ないといっても、信玄2万の軍では落ちるはずもない。そんなことは信玄も十分知っていた。只、城の廻りを蹂じゅう躙りんすればそれで目的を達するのだ。三日間、城を軽く攻北条氏康撃しながら、町家を放火し、形をとどめない位に焼き払った。民衆こそ迷惑だが武力をもつオオカミのような兵団には手の出しようもない。4日夕刻、信玄は前回の謙信にならって鎌倉の鶴つるが岡おか八はち幡まん宮ぐうに参詣すると偽りの御触れを伝え、兵をまとめて東に向かった。鎌倉は三方山に囲まれ前面が海なので、そこに入れば袋のネズミだ。氏康は喜んで包囲殲せん滅めつしようとして兵を集めた。駿河から危急を知って馳せてきた部将もおいおい到着した。信玄は、しかし、その隙に大おお磯いそで道を変えて北