龍馬おもしろばなし百話

龍馬おもしろばなし百話 page 9/20

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11一 龍馬のルーツとエピソードた。何なか々なかの商売人であった。土佐国内には酒造業者が百八十一軒あり、それぞれ酒造株をあたえられていた。この株を買えるだけ資金力があったのだ。商売上手である、これは“近....

11一 龍馬のルーツとエピソードた。何なか々なかの商売人であった。土佐国内には酒造業者が百八十一軒あり、それぞれ酒造株をあたえられていた。この株を買えるだけ資金力があったのだ。商売上手である、これは“近江の血”であろうか。更に元禄七年(一六九四)には、借家で諸品売買をはじめた。この“パイオニア”八兵衛守之は、その三年後に五十八才で他界するが、その跡継ぎの八郎兵衛正禎(1669 ~1738)が、本丁筋三丁目に大きな屋敷を買い入れ、倉を修築、新築すること五回、そして、隣屋敷も買入れて更に増改築した。商売の方も質屋、酒造業の他に呉服屋、髪付油製造と手広くやり、酒造業のため備前や備中に手代を出張に出し、米の買い付けも行うようになった。更に武家や町人に金を貸して利子を稼ぎ、享保十六年(一七三一)には本丁筋の町年寄を命じられ、藩主にお目見えが出来るようになった。このパイオニアの二代、わずか四、五十年の間に才谷屋は、高知城下で財産家、分限者として知られるようになった。当時の城下では、中央の仁尾久太夫、櫃ひつ屋や道みち清きよ、下町酒屋の根来屋、上町の才谷屋、この四軒が分限者として名を知られていたら坂本城跡公園(滋賀県大津市)