龍馬おもしろばなし百話

龍馬おもしろばなし百話 page 18/20

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20拡充した。嘉永六年(一八五三)、小栗流師範であった坂本龍馬が土佐藩の許しを得て千葉道場門人となる。龍馬は千葉定吉とその息子で二代目の千葉重太郎より教えを受けた。そして二年後の安政二年(一八五五)十月....

20拡充した。嘉永六年(一八五三)、小栗流師範であった坂本龍馬が土佐藩の許しを得て千葉道場門人となる。龍馬は千葉定吉とその息子で二代目の千葉重太郎より教えを受けた。そして二年後の安政二年(一八五五)十月二日、「安政の大地震」が発生。死者七千人に及んだと言われ、千葉道場も地震による火災を免れなかった。が、千葉一家の努力と道場の経営良好により、翌年には桶町に再建し、通常稽古を再開したという。6天下のばたらげ男、龍馬の剣の実力は 土佐の桂浜の竜頭崎に立っている龍馬の銅像は、室戸岬の中岡慎太郎の銅像と、大海を間にして目と目で見合っているという。その死を共にした二人の銅像の姿は、いかにも対照的である。慎太郎は、大小を帯びて「気をつけ」の姿勢、衣服の折り目も“ぴちっと”しているし、襟元もきちんとしている。髷まげは、結いたてのように見える。これに対して龍馬は、小刀一本だけを差し、右手を無雑作に懐に入れ、台石にゆったりと寄りかかった「やすめ」の姿勢だし、袴は“よれよれ”、髪は乱れ、しかも、履いているのが大きい靴である。土佐のことばで「ばたらげる」というのは、胸をあらわにして、だらしなく衣服を着用することをいう。龍馬のこの姿は、正に“ばたらげ男”である。 龍馬の剣の先生は、千葉定吉である。定吉は千葉周作の弟で、桶町に道場をかまえていたところから「桶町千葉」と呼ばれたが、龍馬は、この定吉から「北辰一刀流長刀兵法の目録」を得ている。この伝書には、定吉の娘である、里り幾き(?~ 1858)、佐さ那な(1838 ~ 1896)、幾い久く(?~ 1887)という三人の女性の名が連なっている。女性の名が書かれるとは、武術の伝書には珍しい、艶な“しろもの”である。しか