龍馬おもしろばなし百話

龍馬おもしろばなし百話 page 17/20

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19一 龍馬のルーツとエピソードのちに神田お玉ケ池に移転した。ちなみに北辰一刀流とは、北辰夢想流と小野一刀流を合わせたもので、そこから名付けられている。 一、斉藤弥九郎の神道無念流「練兵館」(力の斉藤)....

19一 龍馬のルーツとエピソードのちに神田お玉ケ池に移転した。ちなみに北辰一刀流とは、北辰夢想流と小野一刀流を合わせたもので、そこから名付けられている。 一、斉藤弥九郎の神道無念流「練兵館」(力の斉藤) 一、桃井春蔵の鏡新明智流「士学館」(位の桃井) 一、 千葉周作の北辰一刀流「玄武館」(技の千葉) 神田お玉ヶ池を本店とすれば、龍馬と溝渕が寄宿した「桶町千葉道場」は支店である。一般に千葉道場というと“エリート”の集まりのようだが、調度、龍馬たちが入門した寛永年間には、お玉ヶ池の千葉道場には三千六百人も門弟がいて、屋敷は大名屋敷ほどの広さがあったという。なぜ、それ程、門弟が集まったのか。弟定吉は、道場を開く前から経営の才があった。他の流派の「目録」は、八段階制で一段昇進するごとに礼金をとって経営していたが、北辰一刀流では三段階制として門人の負担を減らし、そのぶん諸大名から門人の委託を受けて、束そく修しゅう(授業料)をとっていたため、個人の束修を全廃したという。だから門弟が集まったのだ。結局、本店のお玉ヶ池で教えきれない者を、桶町で預かっていたのかも知れない。 龍馬と溝渕を出迎えたのは、北辰一刀流剣術師範の千葉定吉(1812? ~ 1879)。定吉には、長男重太郎(1824 ~ 1885)、その妹に千葉さな子(佐那)(1838 ~ 1896)らがいる。重太郎は、この時三十才、龍馬と親しくなり、勝海舟に二人で会いに行ったという、有名な話が残っている。■桶町千葉道場は、嘉永二年(一八四九)頃、開祖千葉周作の弟・千葉定吉平政道により作られた。当時では非常に珍しい士農工商の別け隔てない道場だったため、上士、下士、農民、商人から女性、子供に至るまで瞬く間に門人を増やす。すぐさま手狭になり、隣にあるすでに閉塾していた東条一堂塾を買い取り、