龍馬おもしろばなし百話

龍馬おもしろばなし百話 page 15/20

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17一 龍馬のルーツとエピソード4少年龍馬は、いかなる教育を受けたか 龍馬(1836 ~ 1867)は、凡ぼん庸ような少年だった。親が塾に行かせても、すぐにやめてしまい、正規の学習をすることは無かった。その耳学問は....

17一 龍馬のルーツとエピソード4少年龍馬は、いかなる教育を受けたか 龍馬(1836 ~ 1867)は、凡ぼん庸ような少年だった。親が塾に行かせても、すぐにやめてしまい、正規の学習をすることは無かった。その耳学問は、師をも唸らせるものがあったが、決して「神童」と呼ばれる少年ではなかった。 だが、坂本家には学問をする気風があり、兄や姉たちも皆そうだった。子供の教育には“金”を惜しまない家系だった。母を亡くした十二才の時、彼は高知城の西、家からほど近い小高坂村の楠山庄助塾に入って学問をすることになったが、すぐに学友と“いさかい”を起して、退塾させられてしまった。その後は、姉乙女に家で厳しく教えられることとなった。楠山塾を止めてからは、正規の学問はしなかった。和歌を詠んだり、中国の古典を読んだりはしたが、同世代の志士たちがやった漢詩は、興味を示していない。 文久二年(一八六二)三月に龍馬が脱藩した時、同志の平井収二郎(1835 ~ 1863)は、京都にいる、妹・加尾(のちの西山加尾)(1838 ~ 1909)に「元より龍馬は人物なれども書物を読まぬゆえ、時として間違いし事も御座候得ば、よくよく御心得あるべく候」と手紙に書いている。彼は、他人の目には書物を読めない無知の人間と映っていた。只、正規の学問をしていなくても、耳学問に優れ、物事の本質をとらえることには優れていた。 ある蘭学者から「和蘭政体論」の講義を聴いたとき、講義の途中で彼は言った。「先生、原義を誤って伝えているように思います。ご一閲を頼みます」「拙者はおぬしの師である。どうして誤ることがあろうか」。原書を精読したところ、自らの誤訳に気付いた師は思う。「自ら読まざるに眼光透徹す、師といえども顔色なきなり」。よく「眼光紙背に徹す」といわれるが、彼は本を読むことはなく、耳から聞いただけで、師の読み間違いを指