龍馬おもしろばなし百話

龍馬おもしろばなし百話 page 13/20

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15一 龍馬のルーツとエピソード生えていて、調度“馬のたてがみ”のようだったので「龍馬」と名付けたといわれている。その時に兄弟は、長兄の権ごん平ぺい(直方)(1814 ~ 1871)、長姉千ち鶴づ(1817 ~ 1862)....

15一 龍馬のルーツとエピソード生えていて、調度“馬のたてがみ”のようだったので「龍馬」と名付けたといわれている。その時に兄弟は、長兄の権ごん平ぺい(直方)(1814 ~ 1871)、長姉千ち鶴づ(1817 ~ 1862)、次姉栄えい(?~ 1845)、そして四才年上の三姉に乙おと女め(1832 ~ 1879)がいた。 末っ子の龍馬だが幼い頃のことは、よく分かっていない。少年の頃の龍馬は「よばったれ」「よばいたれ」「よばれたれ」とも、つまり、寝小便たれで泣虫小僧だったといわれている。近所の子供たちから“坂本の鼻たれ”と馬鹿にされても、喧嘩一つできない弱虫小憎だったようだ。しかしこれも、明治の小説のせいで、本当のことは分からない。 龍馬の本当の性格はともかく、末っ子として大事に育てられたことは、間違いないのである。家族だけでなく、坂本家の使用人からも、「坊ちゃん」として大事にされていたのだ。 だが龍馬が、十二才の時、弘化三年(一八四六)母・幸(1796 ~ 1846)が四十九才で他界してしまった。多感な時期に母を失った龍馬と馬が合い以後の生涯、母代りとして接してくれたのが、坂本のお仁王さんの姉乙女だった。乙女の存在は彼には大きかった。■坂本三姉妹 「坂本の仁王様」こと、三女の乙女は世によく知られているが、他の二姉妹のことは、“女仁王様”の陰になり知られていない。長姉“ 千ち鶴ず”は、龍馬より十九才年上で、安田村郷士・高松順蔵(1807 ~1876)に嫁ぎ、のちに海援隊士として、龍馬の“サポーター”として活躍する「高松太郎」(のちの坂本直なお)(1842 ~ 1898)と、自由民権家で北海道のクリスチャン「高松南な海み男お」(坂本直なお寛ひろ)(1853~ 1911)を生んだ。龍馬(1836 ~ 1867)とは、親子ほど年が開いていたので、交渉は少な