龍馬おもしろばなし百話

龍馬おもしろばなし百話 page 12/20

電子ブックを開く

このページは 龍馬おもしろばなし百話 の電子ブックに掲載されている12ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
14るとするなら、戦国の世、佐和山城籠城のとき、血なまぐさい生首を天主に運び、お歯黒につくり直した物語の女主人公、山田去暦(これき)の娘「御案(お庵)」や、夫の馬揃えに、手鏡から金十両を取り出して名馬を....

14るとするなら、戦国の世、佐和山城籠城のとき、血なまぐさい生首を天主に運び、お歯黒につくり直した物語の女主人公、山田去暦(これき)の娘「御案(お庵)」や、夫の馬揃えに、手鏡から金十両を取り出して名馬を購わせた、かの有名な山内一豊の妻(“千代”とも、“まつ”とも)がいる。 もし「おかあ」が「土佐三烈婦人」に数えられるとすれば、龍馬は、謀反人と烈婦、女丈夫の先祖の血をひいたもので「龍馬は一世の傑物なりしも、亦偶然にあらず」ということになるのである。血というものは恐ろしいものである。乙女姉さんを見ても、そんな血統のすごさを感じるのである。3龍馬は「寝小便たれ」だったのか?  坂本三姉妹 天保六年、土佐国高知城下上町の町人郷士坂本家の次男に生れた龍馬(1836 ~ 1867)が、「寝小便たれ」だったという話は、坂崎紫し瀾らんの『汗血千里駒』の影響が大きい。 「りょうま」の名は「龍馬」が正しいようだ。「竜馬」が一般化しているのは、司馬遼太郎先生(1923~ 1996)の『竜馬がゆく』(全5巻、文藝春秋、1963 ~ 1966)の影響である。 「りゅうま」と読むのも誤りで、龍馬自身、手紙の末尾に「りょう」と署名していることからも明らか。諱いみなは、直なお陰かげのちに直なお柔なり。はじめて郷士になった直なお益ます(才谷屋三代目)(1702 ~ 1779)以降、歴代「直なお」の字が諱に用いられている。「良馬」と書いてあるものもある。 父の名は八はち平へい(長兵衛、直なお足たり)(1797 ~ 1855)。龍馬が生まれた時、背中に黒く長い毛がたくさん