龍馬おもしろばなし百話

龍馬おもしろばなし百話 page 11/20

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13一 龍馬のルーツとエピソード2龍馬の先祖の中に一人の烈女がいた龍馬の先祖「おか阿物語」 「大和国吉野之住須藤加賀守殿の娘なり、乱世の時土佐の国へ落給ふが道迄敵六人追掛即ち勝負之由、おかあ殿少し薄手をお....

13一 龍馬のルーツとエピソード2龍馬の先祖の中に一人の烈女がいた龍馬の先祖「おか阿物語」 「大和国吉野之住須藤加賀守殿の娘なり、乱世の時土佐の国へ落給ふが道迄敵六人追掛即ち勝負之由、おかあ殿少し薄手をおはれ敵に待てといふ言葉をかけ、左の小袖を引きちぎり鉢巻にあて又戦ひ終に六人を切留め、夫より土佐の豊永に落ち給ふ。土佐にて合宿と見えたり。尤も弟一人妹一人つれて被レ落由、弟は須江村に有付き跡有レ之哉不レ存候。妹は才谷へ被レ嫁之由是即ち貴様御先祖に可レ有御座候云々、未レ得二御意一候得共、ケ様の事は聞度物にて御座候故云々、伝聞のまま記進申候。今年八十三に相成候故手ふるひ見わけがたく可レ有御座候」。この「おかあ」は豊永左平衛の妻女となり、弟は須江村にありつき、妹は「才谷に嫁がれる由」と、坂本家古系図中「須藤加賀守娘おかあ事蹟」一巻にあることを、大正五年(一九一六)、郷土史家・寺石正まさ路みち氏(1868 ~ 1949)が、『南国遺事』で紹介している。 「定めて其人格器量素もとより尋常婦女子に卓越せしものありしこと疑ひなけん。然して其妹女こそ正しく坂本家の初代たる江州坂本村より土佐才谷の里に移住せる、坂本太良五良の妻女たりしは実に不思議の奇縁と申すべし。げにも其十代の子孫たる坂本龍馬が才気卓落として一世の傑物たりしも亦偶然にあらずとやいはん」とある。 坂本家は、天正十年(一五八二)、明智光秀が本能寺で反逆し、山崎で秀吉に敗北、その甥光春(明智秀満)は、湖水を馬で大津より泳ぎ渡り、坂本城に逃れ、ここで自刃した。「明智左馬助の湖水渡り」伝説である。 その一族が諸国を流浪したが、この明智の系統が土佐の才谷に来国したのが“龍馬の先祖”である。長宗我部家と明智家は、当時、相当親密であったことから、土佐へ来流したと考えられる。もし土佐烈婦を他にあげ