龍馬おもしろばなし百話

龍馬おもしろばなし百話 page 10/20

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12しい。「才谷屋」は更に手代に“のれん分け”するほか、五人の手代に新店をあたえたというから、たいしたものだった。本丁筋三丁目の才谷屋は、間口八~九間、奥行数十間だったという。しかも数棟の酒倉は甍いらか....

12しい。「才谷屋」は更に手代に“のれん分け”するほか、五人の手代に新店をあたえたというから、たいしたものだった。本丁筋三丁目の才谷屋は、間口八~九間、奥行数十間だったという。しかも数棟の酒倉は甍いらかを競い、使用人も十人以上雇っているという繁盛ぶりであった。さらに龍馬の玄祖父・八郎兵衛直なお益ます(1702~ 1779)のときに「郷士」となったのを機に、長男兼助直なお海み(1739 ~ 1812)と次男八次直なお清きよ(1744~ 1828)に財産分けがなされた。まとめて相続することは、藩の決まりで出来なかったからである。長男兼助直海に郷士株、次男八次直清に本家才谷屋を、それぞれ引き継いだ。 郷士株を引き継いだ兼助直海が、龍馬の三代前、曽祖父ということになる。商売が繁盛していたからこそ、坂本家は「郷士」であり続けることが出来たのである。才谷屋は、一時期は城下町周辺に山林も所有するほどの盛況ぶりだった。 神田村の水谷山は、通称「才谷山」と呼ばれ、そののち彼が脱藩するとき、この山の神社に参拝した。高知市柴巻には「坂本山」と呼ばれる山があり、龍馬もこの山で遊んだのだが、幕末には酒造業を売って、家禄米を抵当に武士にお金を貸す仕送屋になった。だが、仕送屋も、始める時期が遅かった。幕末の経済状況が、地方経済にも、その波が来ていたのだった。仕送屋の才谷屋で、武家の担保の刀が原因で、龍馬の愛する姉上一人が命を落とすことになったとされる。 亀山社中、海援隊で見せる龍馬の“商人”としての才能は、この才谷屋、古くはルーツの近江の血があると思わねばならない。