レトロとロマンを訪う 京都 明治・大正地図本

レトロとロマンを訪う 京都 明治・大正地図本 page 6/28

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41 生い立ち兄覚馬の影響 八重は弘化2 年(1845)11 月3 日、会津藩の砲術師範・山本権ごん八ぱちの三女として、会津若松米代に生まれた。母は佐さ久くといった。6 人兄弟のうち、ともに成人したのは、17 歳年上の....

41 生い立ち兄覚馬の影響 八重は弘化2 年(1845)11 月3 日、会津藩の砲術師範・山本権ごん八ぱちの三女として、会津若松米代に生まれた。母は佐さ久くといった。6 人兄弟のうち、ともに成人したのは、17 歳年上の兄・覚馬と2 歳年下の三郎だけであった。八重は成長過程において、兄・覚かく馬まから大きな影響を受け 明治元年秋。新政府軍の猛攻で地獄絵化する会津・鶴つるヶが城じょう内に、勇ましくも敵方に向けスペンサー銃をぶっ放す、一人のうら若い会津女性がいた。彼女こそ、のちに「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる山本(新島)八重だ。 残念ながら時に利あらず、鶴ヶ城は開城。その後、彼女の人生は一変する。京都府の要職に就いていた兄を頼って上洛、そこで、アメリカ帰りのキリスト教徒と出会い、結ばれる。以降、彼女はクリスチャン・レディーとして、文明開化の扉を開いてゆくことになるのだ。 激動の時代をハンサムに(かっこよく)生き抜いた八重の足跡を、京都を中心に駆け足で追いかけてみたい。ることになる。 藩校・日にっ新しん館かんに学んだ覚馬は、黒船が来航した年、24 歳にして江戸の勤番となる。江戸では佐さ久く間ま象しょう山ざんの塾に入り、勝かつ海かい舟しゅうや吉よし田だ松しょう陰いん新にい島じま八や重えの生涯日新館天文台跡(福島県会津若松市)覚馬・八重生誕の地碑(福島県会津若松市)新島八重(同志社大学提供)