レトロとロマンを訪う 京都 明治・大正地図本

レトロとロマンを訪う 京都 明治・大正地図本 page 25/28

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107新島襄・八重、山本覚馬物語&近代建築物年表4月3月にようやく教員許可が下りた、ドウェイト・ウィットニー・ラーネッド(Dwight.Whitney.Learned)(1848~1943)、この月、同志社英学校着任。5月新島襄(1843~....

107新島襄・八重、山本覚馬物語&近代建築物年表4月3月にようやく教員許可が下りた、ドウェイト・ウィットニー・ラーネッド(Dwight.Whitney.Learned)(1848~1943)、この月、同志社英学校着任。5月新島襄(1843~1890)、D・W・ラーネッド(同志社英学校教員)のため、京都府に「寄留届」を提出。7月25日温泉の男女混浴を許可。8月旧・京都市立有ゆう済さい小学校太鼓望楼(国登録有形文化財)(現・東山区大和大路通三条下ル東側大黒町)(昭和27年移築)は、地域の火災等を半鐘で知らせる火の見櫓の機能と、太鼓を鳴らし地域への通信機能を果たすための施設で、この月に造られた。当初は木造2階建の有済小学校講堂の屋根に設けられていたが、講堂取り壊しの際、鉄筋コンクリート造の校舎屋上に移築された。木造2層で、屋根は宝形造。地域の行政施設としての役割を担っていた旧番組小学校の面影を伝え、現在も地域のシンボルとなっている。市内に残る唯一の太鼓望楼で、学校に併設されており火事と時刻を知らせていたものは全国的にも唯一現存するもの。9月7日八重(1845~1932)、同志社の教員であり、医師・宣教師でもあったW・テイラー夫人の依頼で、嵯峨に同行。翌日、帰宅。9月9日リロイ・ランシング・ジェーンズ(Leroy.Lansing.Janes)(1837~1909)の紹介で、8月廃校となった熊本洋学校の(元)学生ら海老名弾正(1856~1937)、金森通つう倫りん(1857~1945)、小こ崎ざき弘ひろ道みち(1856~1938)ら「熊本バンド」、同志社英学校に転入学する。伊勢(横井)時雄(1857~1927)は、翌年入学で、父は横井小楠、金森通倫・徳富蘇峰(1863~1957)・徳冨蘆花(1868~1927)は、母方の親戚にあたり、妻は山本覚馬の次女みね(峰)(1862~1887))で、父小楠横死後、伊勢姓を名乗った。9月13日西本願寺末寺の内、真宗興正寺派が独立する。結婚して間もない頃の新島襄とその家族。左から八重、八重の母山本佐久、襄、父民治、母とみ、姉みよ(同志社大学提供)A.・J.・スタークウェザー(同志社社史資料センター提供)W・テイラー夫人(同志社社史資料センター提供)三嶋亭(地図P26 )西暦(和暦) 新暦出来事