レトロとロマンを訪う 京都 明治・大正地図本

レトロとロマンを訪う 京都 明治・大正地図本 page 18/28

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72番ばん組ぐみ小しょう学がっ校こう 明治2 年(1969)、日本で初めての小学校が京都で誕生した。上京第二十七番組(柳りゅう池ち)小学校を皮切りに64 校が年内に開校している。これらは全て、自治組織である番ば....

72番ばん組ぐみ小しょう学がっ校こう 明治2 年(1969)、日本で初めての小学校が京都で誕生した。上京第二十七番組(柳りゅう池ち)小学校を皮切りに64 校が年内に開校している。これらは全て、自治組織である番ばん組ぐみによって運営され、番組小学校と呼ばれた。天皇とともに首都が東京に移ってしまい、今後京都の衰退を防ぐには、教育に力を入れ、優れた人材を養成することが何よりも急務、と当時のお雇やとい外国人 東京遷せん都とに伴い、天皇家や公く家げの御ご用よう達たしであった町人たちも東京へ移っていくと、京都の地盤沈下を防ぐための経済振興策も喫きっ緊きんの課題となる。明治政府もその必要性を認識していたようで、京都府に対し勧業基き立りゅう金きんとして15 万両を貸与するとともに、産業基立金として10 万両を下か賜ししたのだった。様々な近代化対策に明治の京都取り組んだ京都人は考えたのだ。これはまた、覚かく馬まが提唱した「管かん見けん」の思想でもあった。 ところで、小学校創設のベースには江戸期の寺子屋制度がある。京都では、読み書きそろばんなどが、御隠居や書家などによって、町内の子供たちに教えられていたのだ。その流れを汲くみ、番組小学校での授業科目は「句く読とう」「暗誦」「習字」「算術」の4 科であった。京都市下京区にある京都市学校歴史博物館を訪ねれば、発足当初からの小学校史を知ることができる。この施設は、明治2 年に開校した下京第十一番(開かい智ち)小学校の跡地に設置されており、正門と石塀は同校のものだ。また、展示室の入り口は、同じく明治2 年に開校した下京第九番(成せい徳とく)小学校の玄関車寄せを利用している。 京都府ではその資金を活用して、舎せい密み局きょくや勧かん業ぎょう場じょうなど殖しょく産さん興こう業ぎょうのための施設を整備する。しかし、こうした施設を使いこなせる人材は、国内にまだ育っておらず、欧米から専門家が招しょう聘へいされた。いわゆる「お雇やとい外国人」である。京都最初の理化学研究所である舎密局では、ドイツの化学者・ワグネル博士の指導を仰ぎ、石けん、ラムネ、リモナーデ、陶磁器、七宝、ガラス、ビールなどを製品化した。ちなみに、舎密とはオランダ語のchemie(化学)に漢字を当てたものである。 ワグネル博士に師事した初代島しま津づ源げん蔵ぞうは、のちに島津製作所を創業し、教育用機器や医療用具の製作に携わったほか、仙せん洞とう御ご所しょで有人の熱気球を上げて話題をさらったりした。京都市学校歴史博物館正門(左)と玄関脇に立つ二宮金次郎像(右)(地図P59)舎密局を指導したワグネル島津創業記念資料館(地図P28)の顕彰碑(地図P48)