京都幕末おもしろばなし百話

京都幕末おもしろばなし百話 page 9/20

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31 幕末女性群像活躍。連日連夜の宴席をサポートしたのは小仲であった。福澤諭吉は「小仲は肝の据わった女傑である」と言っている。こんな話もある。大政奉還の話で近藤勇と対面した象二郎はお互いに刀を脇に置くこ....

31 幕末女性群像活躍。連日連夜の宴席をサポートしたのは小仲であった。福澤諭吉は「小仲は肝の据わった女傑である」と言っている。こんな話もある。大政奉還の話で近藤勇と対面した象二郎はお互いに刀を脇に置くことを提言し近藤もこれに応じた。この時、小仲はピストルを帯の中に入れて部屋の外で待機していたらしい。 小仲の実家は三条の鮨屋で押しかけ女房の小仲は明治3年(1870)5月、目出度く参議伯爵夫人となる。武士の出の象二郎が、町人の出の雪子(小仲)と結婚するのは、まだ、明治のごく初期では、そのままでは難しかったのか、雪子は、岩崎弥太郎の養妹という形をとり、岩崎家から嫁入りした形で正妻となった。京都では当時「京の三条のすし屋の娘、今じゃ参議のお台様」と言う唄が流行したという。 慶応2年に長崎丸山で連日豪遊し、公金の出費が多額のため谷干かん じょう城らが探索に来たが後藤の人柄に魅せられ、事実を追求せず却って弁護したとか。 坂本龍馬と長崎で出会うときも芸妓が大きな役目を演じた。敵同士の立場での清風亭での会談では龍馬の女幕末の恋、愛人たちと花街「お元」を根回しとして後藤は先手を打った。会談は成功した。維新後の彼は浪費ぐせのせいで借金まみれで板垣退助が金策に走り助けた。京都では大和大路新橋での「パークス事件」で大活躍し、英国女王から宝剣を贈呈された。維新後は、板垣退助の自由党結党に参加。黒田内閣から第一次松方内閣にかけて逓信大臣、引き続き第二次伊藤内閣では農商務大臣を務める等、党派を超えた政治家として活躍する。明治11年(1878)、パリ万博で渡航し、明治16年の1月には、旅行鞄を買ったとい後藤象二郎