京都幕末おもしろばなし百話

京都幕末おもしろばなし百話 page 8/20

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307先斗町の小お仲なか―後藤象しょう二じ郎ろうの押しかけ女房 参議後藤象二郎夫人雪子(1847 ?1918)の話。後藤象二郎(1838 ?1897)は土佐藩の大物である。陽気でハッタリ屋で龍馬とよく似た人柄、土佐人の持つ....

307先斗町の小お仲なか―後藤象しょう二じ郎ろうの押しかけ女房 参議後藤象二郎夫人雪子(1847 ?1918)の話。後藤象二郎(1838 ?1897)は土佐藩の大物である。陽気でハッタリ屋で龍馬とよく似た人柄、土佐人の持つ明るさか!! 彼は豪快で花街では大いにもてた。土佐藩士・上士であり、交際費は役目柄十分に持っていてよく遊んだ。 先斗町の丸梅の小お仲なか(後に正夫人)と近きん喜よしという料理屋でよく会っていたという。京都で尊攘派と佐幕派に大胆に接触し、政治活動拠点として、祇園や先斗町を舞台とし、宴席では同志の前で小仲とラブシーンを演じたり「後藤はこっちの方でも天才だ」と感心されていた。小仲と象二郎の熱愛ぶりには芸妓仲間からうらやましがられていたが、寝物語に象二郎の言う身請け話が一向に実現がない!! イライラした彼女は芸妓仲間のアイデアで眉毛をそり落としお歯黒に染めて土佐藩邸のある木屋町蛸薬師西側へ押しかけて強行談判に出た。これには、さすがの後藤もお手上げですぐに落籍したという。 後藤には吉田東洋の親族で藩の要職の寺田剛たけ正まさ( 左そ右う馬ま)(1808 ?1877)の次女「磯子」という妻が居た。安政元年(1854)、彼は17歳で結婚、二人の間には二男二女が生まれ、磯子は慶応3年(1867)、後藤が京で活躍している最中に病死した。彼の活躍は慶応2年、長崎から始まり、敵対していた龍馬とも深い仲となった。その後慶応3年の大政奉還の建議、薩長同盟、イカルス号事件、藩論統一と京・大坂・土佐で大幕末の恋、愛人たちと花街