京都幕末おもしろばなし百話

京都幕末おもしろばなし百話 page 17/20

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117 新選組もろもろ話河合耆三郎冤罪事件を考察する 私は河合事件には何か大きい背景があるように長年考えてきた。今回、再度彼の入隊から死への時間を既刊の新選組関係本から辿ってみた。どの書も単純な会計不算事....

117 新選組もろもろ話河合耆三郎冤罪事件を考察する 私は河合事件には何か大きい背景があるように長年考えてきた。今回、再度彼の入隊から死への時間を既刊の新選組関係本から辿ってみた。どの書も単純な会計不算事件として取り扱われていた。唯一、万代修氏は河合の活動評価を業績の古文書調査より明らかにされているのに注目し、個々に記述した。その他、宝島社本のみに「近藤勇の行状に意見した」と書かれていた。これに注目しなければならない。 事件は元治元年(1864)8月下旬に6名の幹部隊士、隊長の永倉新八、原田左之助、斉藤一はじめ、伍長の島田魁かい、葛かつら山やま武たけ八はち郎ろう、諸士調役の尾お関ぜき雅まさ次じ郎ろうらが守護職容保公に提出した罪状書がある。意見書ではない!!罪状である。罪状とは何か。近藤勇の「禁門の変」後の行動や生活状態を見てみる。京都龍馬会の会報に伊藤修氏が「近藤勇をめぐる芸妓たち」を記載しておられる。 この中で近藤の愛人は三本木花街の駒野・植野、島原花街の金太夫、大坂新町の深雪太夫、その妹のお孝、祇園花街のお芳と6名。その他に井上聞多・品川弥二郎の愛人の祇園の君尾、桂小五郎の愛人で三本木の幾松にもチョッカイを出している。 元治元年(1864)7月19日には「禁門の変」(蛤御門の変)で、隊士3名が戦死、20数名が負傷している。京都は市中3分の2が炎上。市民は羅災し、まさに地獄図の状況の中で、近藤は日野の人を呼んで宴会の日々を過ごしている。これらの近藤の所業に対して幹部たちが、守護職に罪状告発した事件が起こり、新選組の分裂状態が発生した。 河合の父は大蔵元という地位にあり、永倉たち別隊の資金パイプになるに十分な人であった。また西本願寺の新屯所移転にも山やま南なみ敬けい助すけを筆頭に仏教信者や知性派の隊士は反対していた。西本願寺は「門跡寺院」として新選組「誠」の冤罪事件?河合耆三郎