京都幕末おもしろばなし百話

京都幕末おもしろばなし百話 page 16/20

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11610年(1998)頃の深夜にパジャマ姿でハダシの男性が駆け込んできた。「新選組のお墓に参らせて下さい」。住職は隊士の墓に案内した。この男性は般若心経をそらんじていて全文をすらっと唱えた。「も一回、お経を....

11610年(1998)頃の深夜にパジャマ姿でハダシの男性が駆け込んできた。「新選組のお墓に参らせて下さい」。住職は隊士の墓に案内した。この男性は般若心経をそらんじていて全文をすらっと唱えた。「も一回、お経を上げさせて下さい。」と言ったが深夜なのでと住職はお断りになられた。聞いてみると上の方(上京区)の人で「夢枕に新選組の人が出てきて」、パジャマのままで走ってきたのだと言う。四条大宮の西北角にあった交番に飛び込んだ。巡査さんは光縁寺さんにお墓があることを教えてくれたので……。というお話であったと言う。その後その男性は1回も訪れて来ないと聞いた。 さて、何故、耆三郎は、浪士の過激な集団にあこがれたのか。大金持ちのお坊ちゃんで風光明媚な高砂という恵まれた土地で育った若者が、「革命的」と言うべき青雲の志を抱いたのだろうか。彼の体内には商人とは別の血が流れていたのではないだろうか。ひょっとすると当時は当然とされていた側腹・妾腹の息子ではなかろうか。彼は母の体内に流れている「武士の血」を引いていたのだ。父はそのため次男に長男の名前、儀一郎を名付け、長男には不似合いな名前をつけた。家業とは別の道を指向していたのではないだろうか。父が反対もせず大変入隊を喜んだようだし、商用で上京したときには大幹部の近藤に「つけ届け」の贈り物をしたと子母沢氏は書いておられる。これが関東商人の土方歳三との確執を生み、反土方派となる因でもあったのだ。 当時、「京都見廻組」を結成するに当って幕府は旗本士族の次男三男を集め、長男は除外しているような家が中心の時代に、河合家は特異であるには何かあると思われる。河合を調べる中に、家を継いで明治を生きた次男儀一郎の長男河合儀一(1882 ?1974)という「大人物」で出ているのも注目しなければならない。この人は戦後、社会党左派の参議院議員になられた大人物で、戦前、同志社で学んだ新島襄の「キリスト教人間愛」を実践。播州地方の農民運動を行い、先輩の山本宣治氏の様に権力と戦った。筆者はこの高砂出身の二人の人物を高砂義士二人伝として後日出版する予定である。