京都幕末おもしろばなし百話

京都幕末おもしろばなし百話 page 15/20

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115 新選組もろもろ話太夫が木津屋から太夫に昇進し出ていた。彼は壬生寺に参拝し、坊城通りを島原へ歩いた。壬生寺の東側には熊本藩邸が巨大な軒を連ねていた。ここには河上彦げん斎さい(1834 ?1872)ら熊本勤王党....

115 新選組もろもろ話太夫が木津屋から太夫に昇進し出ていた。彼は壬生寺に参拝し、坊城通りを島原へ歩いた。壬生寺の東側には熊本藩邸が巨大な軒を連ねていた。ここには河上彦げん斎さい(1834 ?1872)ら熊本勤王党がいる。松原通り迄は壬み生ぶ菜なの畑が夏野菜に変わっており、松原から田んぼの芹が緑鮮やかに広がっている。先に島原の軒並みが見え出してきた。その夜は高砂太夫はお座敷がかかっていており、伝言を伝えて彼は帰途の伏見港へ急いだ。 今回河合耆三郎を書くに当ってふと疑問が湧きあがった。彼の特異な名である。耆きを漢和辞典でひいてみると「1」年寄り・老人「2」徳のある老人「3」経験を積んだ人とある。次男には儀一郎と名づけ、何故、長男に「耆三郎」という特異な名を父はつけたのだろうか。この名前が姓名学上悪く、彼は悲運の人生を辿ったのではなかろうか。 彼を埋葬した壬生の光こう縁えん寺じさんに、こんな変わった話がある。平成大物である。「よし行って近藤様に申し込んでみよ、河合家にも強い血は流れているのだ。お前は武士になって欲しい。家業は弟儀一郎が継ぐから」と送り出してくれた。そして青雲の志を抱いた耆三郎は壬生の屯所を訪れる。 編成初期の隊には瑞々しい活気が備わっていて、徳川家の御ご用よう達たしの蔵元の息子は会計方として採用された。近藤勇は「河合君、我等は関東の無骨者、貴殿の色々の経験や京・大坂言葉を役立たせてくれ」と頼んで入隊日は6月中旬と決まった。芹沢鴨局長は黙って何も言わない豪放な人物と思えた。島原には彼の幼馴染・高砂新選組「誠」の冤罪事件?河合耆三郎八木家邸(中京区坊城通綾小路下ル壬生梛ノ宮町24)