京都幕末おもしろばなし百話

京都幕末おもしろばなし百話 page 14/20

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114入隊前後 播州高たか砂さごの船着場から大坂行きの船が出る。文政3年(1820)6月、初夏の瀬戸内の海は梅雨が終わり晴れ間が広がり、夏の海風が心地よく船着場に流れていた。現在では当時の面影も無くなってしま....

114入隊前後 播州高たか砂さごの船着場から大坂行きの船が出る。文政3年(1820)6月、初夏の瀬戸内の海は梅雨が終わり晴れ間が広がり、夏の海風が心地よく船着場に流れていた。現在では当時の面影も無くなってしまっているが江戸期には加古川の河口港として川上の滝野から高砂まで改修工事が姫路藩により施工され、大いに栄えていた。そして瀬戸内の海運諸産物の交易、漁業と繁栄を極めていた。河合家はここで大蔵元として、各藩の年貢米を藩に代わって管理運用を任されていた大商人の家柄であった。 当時文政3年は清河八郎率いる浪士隊が京の都の治安維持に上洛し、その後、尊王攘夷論の清河は幕府に背を向け幕府の怒りを買い、暗殺された。その残留組が「壬生浪士組」として鴻こうの池いけの盗賊退治や大坂八軒家に於ける、大坂相撲との闘争事件でいやが上にも有名になっていた。 耆三郎は大商人の息子としては似合わず正義感一杯の佐幕攘夷の心を持ち「青雲の志」を持つ青年であり、これに新選組の名声が火をつけた。5月中旬彼は父に言った。「この家業は弟儀一郎に任せたいと思います。京で動き出した浪士隊に入隊申込に京都へ行くことをお許し下さい」と父に伝えた。さすが大商人の父儀平は二 新選組もろもろ話新選組「誠」の冤罪事件?河合耆き三さぶ郎ろう