京都幕末おもしろばなし百話

京都幕末おもしろばなし百話 page 12/20

電子ブックを開く

このページは 京都幕末おもしろばなし百話 の電子ブックに掲載されている12ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
34者を妻に迎える者が多かった。陸む奥つ亮りょう子こ(1856 ?1900)は、明治の初めに東京新橋柏屋の芸妓となり、小鈴(小兼)の名で通る。新橋で一、二を争う美貌の名妓だったという。明治5年(1872)2月11日、陸奥....

34者を妻に迎える者が多かった。陸む奥つ亮りょう子こ(1856 ?1900)は、明治の初めに東京新橋柏屋の芸妓となり、小鈴(小兼)の名で通る。新橋で一、二を争う美貌の名妓だったという。明治5年(1872)2月11日、陸奥宗光の先妻蓮子が亡くなり、同年5月に17歳で宗光に見初められて後妻となる。のちに社交界入りした亮子は、「鹿鳴館の華」と呼ばれた。 明治初年、横浜富貴楼は一時政治の中心地となったことがある。伊藤博文、井上馨、山田顕義などが富貴楼に集まったからである。これは、なにかと煙たい大先輩の西郷隆盛や大久保利通などの目を避け、岩倉具視、三条実美の非難を逃れる意味もあった。 このとき博文が富貴楼で愛した女は、おびただしい数にのぼった。名前の分かる女だけで七、八名、無名のものまでいれると、たいへんな数になったという。さらに関わりあった女性、まず玉蝶、玉蝶は新橋の芸者で、たいそう美人。次は戸田極子(伯爵戸田氏共の妻)(1857 ?1936)。岩倉具視の次女であり、陸奥亮子と共に「鹿鳴館の華」と言われた美女。明治20年(1887)4月20日に、伊藤博文夫妻主催の「仮面舞踏会」。博文は気に入った人妻極子を誘い庭園の茂みに消える。これは周囲にばれ、新聞でも「破廉恥男」として罵倒される。次は林屋お鉄。お鉄は赤坂一ツ木の餅屋・林勝太郎の娘。赤坂芸者お鉄は21歳の時に博文と出会い、博文のほかにも、岩崎弥太郎・後藤象二郎とも浮名を流す。そして小雄。大阪南地の富田屋にいた13歳の少女だった小雄のことを気に入った博文は、大磯の別荘に連れて行き、正妻梅子に預けた。 それから広島の芸者光菊、芸者亀田うた、大磯の旅館で女中お福、築地新喜楽の芸者で元吉原の花魁、伊藤きん、祇園芸者の政千代、品川のお春、神戸奈良屋の看板娘お末、芸者になった近藤勇の娘とかも伝えられる。他にも女子教育者の下田歌子と噂になったりと、すごい!