京都幕末おもしろばなし百話

京都幕末おもしろばなし百話 page 11/20

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33 幕末女性群像うシャンゼリゼのルイ・ヴィトンルの顧客名簿に日本人第1号として後藤の名が残っている。彼らしいエピソードである。□勤王志士と芸妓ら 平野国臣と芸妓・小勇、久坂玄瑞と島原芸者辰路、井上馨・品....

33 幕末女性群像うシャンゼリゼのルイ・ヴィトンルの顧客名簿に日本人第1号として後藤の名が残っている。彼らしいエピソードである。□勤王志士と芸妓ら 平野国臣と芸妓・小勇、久坂玄瑞と島原芸者辰路、井上馨・品川弥二郎と祇園芸者君尾、桂小五郎の正妻となった三本木の歌舞芸者幾松、桂小五郎・伊藤博文と祇園のお加代(「顔が光って見える」くらいの超美人といわれる)、高杉晋作と祇園の小梨花・愛人おうの、山県有朋と祇園の舞妓小菊、後藤象二郎と先斗町の芸者小仲(後に正夫人)、大久保利通と祇園一力養女おゆう(のち第二正夫人)、西郷隆盛とお末(祇園の芸妓)・お虎(祇園奈良富の仲居)(いずれも大女)、坂本龍馬と長崎芸妓・お元、京都花街のひとつ七条新地の旅館で働いていたお龍など、志士と芸妓らの恋愛話は枚挙にいとまがない。勝海舟も、愛人を何人か自宅に住まわせ、さらに下働きの女性にも手を出したという。初代内閣総理大臣・伊藤博文などは、一度結婚したあとに芸者に一目ぼれして離婚、その芸妓(梅子夫人)と結婚、その後も次から次へと愛人を作り、名前が伝わってるだけで10人以上という。(明田鉄男(1990)「日本花街史」雄山閣など) 伊藤博文の最初の妻は、文久3年(1863)結婚した、松下村塾で一緒だった入江九一の妹おすみ。山県有朋と奪い合いをしたという。下関で遊んでいる時に馬関稲荷町の置屋「いろは」の養女で芸者の小梅と知り合う。博文は小梅にベタボレし、おすみと離縁して、慶応2年(1866)4月小梅と結婚。これが「梅子」。博文の妻梅子(1848 ?1924)は、なかなかよくできた女だったといわれた。この頃は博文の先輩である木戸孝允をはじめとして、陸奥宗光が横浜の芸者を妻にしたりなど、花柳界の出身幕末の恋、愛人たちと花街