西日本の戦国年表帖

西日本の戦国年表帖 page 7/22

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29西日本の戦国武将年表帖永禄11 7月23日「立花山城攻防戦―4月24日~7月23日」、終結。大友宗麟(義鎮)(1530~1587)、立花山城(現・福岡市東区立花山山頂)を奪回。二度目の謀反の立花鑑あき載とし(1521 ?~1....

29西日本の戦国武将年表帖永禄11 7月23日「立花山城攻防戦―4月24日~7月23日」、終結。大友宗麟(義鎮)(1530~1587)、立花山城(現・福岡市東区立花山山頂)を奪回。二度目の謀反の立花鑑あき載とし(1521 ?~1568)は、8月14日、処刑される。その後、大友宗麟は立花山城に津留原掃部助・田北民部丞・臼杵進士兵衛ら三将を入れた。00658月2日立花鑑載の旧臣らが、毛利氏家臣・清水左近将監と共に、立花山城奪回にのりだすも失敗。00668月中旬「長ちょう野の退治」。毛利軍、九州へ出征。00678月19日「秋月氏降伏」。立花山城近辺の反大友勢力を掃討した戸べっ次き鑑あき連つら(のちの立花道雪)(1513 ?~1585)は、次の標的・秋月軍を激しく攻める。これにより秋月種たね実ざね(1548 ?~1596)は、降参。和議の条件は亡父秋月文種の旧領に復する事と、種実次男の秋月元種(のちの高橋元種)(1571~1614)を人質に差し出す事であった。秋月氏降伏により、城井氏・長野氏・千手氏・宗像氏などが大友宗麟に降り、筑前における大友の体制が確立する。00689月5日「長ちょう野の退治」。毛利軍、豊前長野氏一門を壊滅状態にする。006910月2日織田信長「五畿内及びその隣国が信長の支配するところとなる」。三好方・池田城(現・大阪府池田市城山町)の池田勝正(1539 ?~1578?)ら、人質を出して信長軍に降伏。織田信長は軍勢を引き連れ芥川城(芥川山城)(現・大阪府高槻市原字城山(三好山))の本営に凱旋。007010月18日足利義昭「室町幕府再興」。織田信長(1534~1582)、朝廷から将軍宣下を受けて、足利義昭(1537~1597)を第15代将軍に就任させる。義昭、念願の征夷将軍・参議左近衛中将に任じ、従四位下に叙され、足利幕府を再興。007111月28日戸べっ次き鑑あき連つら(のちの立花道雪)(1513 ?~1585)、長岩城(現・福岡県うきは市浮羽町新川長岩)主・問もん註ちゅう所じょ鑑あき豊とよの娘・仁志(西姫)と祝言を挙げる。0072西暦1568信長が義昭のために建造した旧二条城跡碑(京都市上京区)