西日本の戦国年表帖

西日本の戦国年表帖 page 5/22

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21西日本の戦国武将年表帖天文15 11月29日「官兵衛実父は黒田重隆、養父は小寺職隆」。小寺官兵衛祐隆(孝隆、のちの黒田官兵衛)は、播磨の北東部にある黒田庄(現・兵庫県西脇市黒田庄町)で生まれたといい、官兵....

21西日本の戦国武将年表帖天文15 11月29日「官兵衛実父は黒田重隆、養父は小寺職隆」。小寺官兵衛祐隆(孝隆、のちの黒田官兵衛)は、播磨の北東部にある黒田庄(現・兵庫県西脇市黒田庄町)で生まれたといい、官兵衛は小寺職隆の実子ではなく、「猶子」つまり養子だという説がある。「黒田家略系図」。そして、黒田重隆の嫡子(実子)だとされる。姫路心光寺には、黒田家のキリシタン宗門を棄て仏式に復帰した長政(官兵衛嫡男)が安置した位牌があったといい、宗卜(重隆)、松誉禅尼(重隆妻)、龍光院殿(如水)、この3人の位牌だという。官兵衛母・松誉禅尼は、比延山城主・比延氏(本郷氏)の娘とされる。比ひ延え山やま城じょうは、現・兵庫県西脇市比延町字城山にあった。0012西暦1549天文18 7月3日ザビエル「キリスト教伝来」。イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル(1506~1552)、鹿児島湾に投錨。0013西暦1551天文20 9月1日大内義隆「大寧寺の変(天文20年8月28日~9月1日)」。周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護職を務める、大内氏の第31代当主・大内義隆(1507~1551)、文治政治に不満を抱いた家臣の陶すえ隆たか房ふさ(晴はる賢かた)(周防国守護代)(1521~1555)に謀反を起こされ、義隆と一族は、長門国大たい寧ねい寺じ(現・山口県長門市深川湯本)で自害して、大内家は事実上滅亡。0014西暦1552天文21 3月3日豊後国守護・大友義よし鎮しげ(1530~1587)は、陶隆房の申し出を受けてこの日、弟の大友晴はる英ひで(大内義長)(1532 ?~1557)を大内家の新当主として送り込む。これにより室町時代を通した大内氏との対立に終止符を打つと共に北九州における大内家に服属する国人が同時に大友家にも服属することになり、周防・長門方面にも影響力を確保。特に博多を得たことは、大友家に多大な利益をもたらした。0015― 万吉(黒田官兵衛)(1546~1604)、7才頃、浄土宗の寺に入り僧・円満に師事して素読、手習いを始める。0016西暦1554天文23 ― この年、官兵衛の同母弟・黒田利高(1554~1596)が生まれる。0017西暦1546