黒田官兵衛の行動原理

黒田官兵衛の行動原理 page 19/22

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17 官兵衛、信長に天下人を見る 織田氏は、足利氏の流れを汲む守護大名・斯し波ば氏の家臣であったが、信長が当主となるや、尾お張わり国の清きよ洲す城を拠点とし俄然勢力を拡大していく。特に、「桶おけ狭はざ間....

17 官兵衛、信長に天下人を見る 織田氏は、足利氏の流れを汲む守護大名・斯し波ば氏の家臣であったが、信長が当主となるや、尾お張わり国の清きよ洲す城を拠点とし俄然勢力を拡大していく。特に、「桶おけ狭はざ間まの戦い」で今川義よし元もとを大逆転劇により破ってからは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった。 官兵衛が青山・土かわらけやま器山の戦織お田だ信のぶ長なが(1534 ~ 1582)尾張国古渡城主・織田信秀の嫡男として生まれる。少年期から奇行が多く大うつけと呼ばれるが、「美濃の蝮」と恐れられた斉藤道三に好感を持たれ、道三の娘・濃姫を娶る。清洲城主・織田信友の不穏な動きを察知すると、信友を殺害、清洲城に移って居城とした。いで勝利した翌年の永禄11年(1568)、信長は室町幕府の元将軍・足利義よし輝てるの弟・義よし昭あきを擁して京へ入り、現将軍・義よし栄ひでを廃すと義昭を15代将軍に就けて、自らはその後見人となった。「天てん下か布ふ武ぶ」を目指す信長の真の狙いは、室町幕府を傀かい儡らい政権化して、京都での基盤を固めることにあっ足あし利かが義よし昭あき(1537 ~ 1597)室町幕府13 代将軍足利義輝の弟。幼くして仏門に入るが、永禄の変で義輝が殺されると還俗、信長に担がれて15 代将軍となった。京都から追放されたあと備後国へ下向したが、本能寺の変により再び上洛。60 歳まで生き、晩年は秀吉のいい話相手だったと言われる。旧二条城跡碑