黒田官兵衛の行動原理

黒田官兵衛の行動原理 page 16/22

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14官兵衛、「3本の矢」を解く 毛もう利り氏は鎌倉幕府の名臣・大江広ひろ元もとの四男・大江季すえ光みつを祖とし、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、安あ芸き国へ移住してきた一族である。16世紀、毛利元も....

14官兵衛、「3本の矢」を解く 毛もう利り氏は鎌倉幕府の名臣・大江広ひろ元もとの四男・大江季すえ光みつを祖とし、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、安あ芸き国へ移住してきた一族である。16世紀、毛利元もと就なりが現れると、戦国大名として中国地方全域をほぼ支配下に置くまで勢力を拡大する。 元就に纏まつわるエピソードとして「3本の矢」の話は余りにも有名だ。元就には隆たか元もと、元もと春はる、隆たか景かげという3人の息子があった。元就が臨終の枕元に3人を呼び、1本の矢を折るように命じた。3人とも難なく矢を折ることができた。次に元就は3本の矢束を折るように命じた。今度は誰も折ることができなかった。1本の矢は脆もろくとも、3本寄ると頑丈になることから、3人兄弟結束してお家を守ることを強く訴えたものである。 ところで、3兄弟のうち、嫡男の隆元は、家督を継いで毛利氏第14代当主となり、二男の元春は安芸国の名門・吉きっ川かわ氏しに養子に出され、吉川元春として吉川氏の家督を継いだ。そして、三男の隆景は、跡継ぎの無かった竹原小こ早ばや川かわ氏の養子に入り、小早川隆景となる。元春と隆景は、毛利三原城跡