黒田官兵衛の行動原理

黒田官兵衛の行動原理 page 15/22

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13 龍野城 地図頁125兵庫県たつの市龍野町上霞城128JR姫新線「本竜野」駅から徒歩30分青山古戦場跡 地図頁125兵庫県姫路市青山西5JR山陽本線「姫路」駅から神姫バスで「青山ゴルフ場」下車、徒歩3....

13 龍野城 地図頁125兵庫県たつの市龍野町上霞城128JR姫新線「本竜野」駅から徒歩30分青山古戦場跡 地図頁125兵庫県姫路市青山西5JR山陽本線「姫路」駅から神姫バスで「青山ゴルフ場」下車、徒歩3分 小寺軍は、官兵衛の隊が先鋒、職隆の隊が殿しんがりという体制で、赤松軍を急襲した。政秀にすれば、小寺軍がまさか数時間で再び攻撃してくるとは思いも寄らなかったのだろう、赤松軍は大混乱に陥る。官兵衛は敗走する政秀らを追いかけ、多くの敵兵の首を討ち取ったのだった。 だが、母里武兵衛は奮闘の末、体を7本の槍に貫かれて壮絶な死を遂げる。母里氏は後継者を絶たれたが、官兵衛は、職隆に仕える曾我一信と母里氏の女との間に生まれた子どもに母里姓を嗣がせた。この子が、のちに黒田24騎の1人となる母里太た兵へ衛えである。 現在、青山の戦いの跡地一帯はゴルフ場となっており、その一角に「黒田官兵衛古戦場跡」と銘打った石碑が立つ。また、近くの「千石池」には、この戦いで命を落とした兵士の首が沈んでいるという言い伝えがあるそうだ。右/黒田官兵衛古戦場跡碑左/千石池