恋する幸村

恋する幸村 page 22/24

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しようと心配したが、昌幸は事が終わると、すぐに小さい寝息を立てて眠り込んでしまった。真田家において、さくらは京の公家の出であるということから、京之御前様あるいは山や ま之の手て殿どのと呼ばれるようにな....

しようと心配したが、昌幸は事が終わると、すぐに小さい寝息を立てて眠り込んでしまった。真田家において、さくらは京の公家の出であるということから、京之御前様あるいは山や ま之の手て殿どのと呼ばれるようになる。信玄は、さくらが昌幸に嫁いだ直後から上こ うずけ野国への侵攻を開始し、倉く ら賀が野の城(群馬県高崎市)や箕み の輪わ城(同)などを相次いで落とし、その後は駿する河が国や相さ が模み国(神奈川県)、遠とおと江うみ国へも矛ほ こ先さきを向けた。昌幸は初夜の床でさくらに語った通り、父や兄たちとともに武田軍の一員として連戦連勝の活躍ぶりを見せた。北条氏と争った「三み増ませ峠とうげの戦い(神奈川県愛川町)」では一い ち番ばん槍やりの功こ う名みょうを上げ、今川氏に取って代わった徳と く川がわ家いえ康やすを完か ん膚ぷなきまでに叩たたいた「三み方かたヶが原はらの戦い(静岡県浜松市)」にも参陣した。さくらは、昌幸の戦果に応えるように次々に妊娠と出産を繰り返した。永禄8年(1565)に長女・千ち寿ずを、同9年に長男・源げ ん三ざぶ郎ろうを、そして同10年に二男・源げ ん次じ郎ろうを産んだ。この源次郎こそが、のちに「日本一の兵つわもの」として歴史に名を残す真さ な田だ幸ゆき村むらこと真田信の ぶ繁しげなのである。22