恋する幸村

恋する幸村 page 19/24

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しかし、信玄の時代になると、打って変わって武田氏に仕えるようになり、旧領の回復を果たす。そして、武田氏の信濃侵攻で活躍し、特に天文20年(1551)4月、信玄が2度も敗れている村む ら上かみ義よし清きよの居城....

しかし、信玄の時代になると、打って変わって武田氏に仕えるようになり、旧領の回復を果たす。そして、武田氏の信濃侵攻で活躍し、特に天文20年(1551)4月、信玄が2度も敗れている村む ら上かみ義よし清きよの居城・砥と石いし城を、調ちょう略りゃくを駆使してわずか1日で落とした。また、弘こ う治じ2年(1556)には、信玄の最大のライバル、上う え杉すぎ謙けん信しんの軍事拠点である尼あま飾かざり城(長野市松代町)の攻略にも成功している。そうした戦績から幸隆は信玄の覚えめでたく、永禄2年(1559)、信玄が出家してそれまでの晴は る信のぶから信玄に改名した時には、自らも出家して一い っ徳とく斎さいと称した。親族の紹介を終えると、幸隆は続いて、昌幸の「川か わ中なか島じまの戦い」での初う い陣じんの様子を皆の前で披露した。信玄と越え ち後ご(新潟県)の上杉謙信は、北信濃の川中島(長野市南郊)で都合5回にわたって干か ん戈かを交えたが、昌幸が初陣を飾ったのは、最大の激戦となった4回目の合戦であった。永禄4年(1561)9月のこの合戦で、弱じゃっ冠かん15歳の昌幸は他の近臣とともに本陣を守り、信玄の側にあって全く動じることがなかったという。昌幸の長兄・信綱、次兄・昌輝、弟・信尹らは、初めのうちこそ、公家出身の新婦に遠慮がちな態度を見せていたが、やがて酒が回るほどに相そ う好ごうを崩く ずし、入れ代わり立ち代わり母の素性19