恋する幸村

恋する幸村 page 11/24

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そうした中、家格を吊り上げようと、公家との婚姻を希望する戦国大名も多く、晴季に目を付けた甲斐国の武田信虎も、自らの九女を晴季の室として差し出していたのである。一方、信虎の息子・信玄も、やはり清華家の家....

そうした中、家格を吊り上げようと、公家との婚姻を希望する戦国大名も多く、晴季に目を付けた甲斐国の武田信虎も、自らの九女を晴季の室として差し出していたのである。一方、信虎の息子・信玄も、やはり清華家の家格を持つ三条家から正室(三条夫人)を娶っており、自分の可愛がっている家臣・真田昌幸にも公家から妻を取らせるため、晴季に候補となる女の紹介を依頼したのだった。もっとも、天てん文ぶん10年(1541)に信玄は権力闘争から父・信虎を甲斐から追放しており、父子は絶縁状態にあった。信虎は初め駿す る河が(静岡県中部)の今い ま川がわ義よし元もとの元に身を寄せるが、義元が永禄3年(1560)に「桶お け狭はざ間まの戦い(愛知県名古屋市・豊明市)」で尾お張わり(愛知県西部)の織お田だ信のぶ長ながに討たれると、三条家を頼って京都に移り住んだ。それゆえ晴季が信玄の要請を受けたなら、その情報はすぐに信虎の耳に入り、一ひと悶もん着ちゃく起こるのは必ひ っ至しであった。晴季は、義兄・信玄と義父・信虎の両方に顔を立てるため、下女を養女にして嫁がせることを考え出したに違いない。そして、候補者として白し ら羽はの矢が立ったのがさくらであり、その説得を妻に命じたのだろう。さくらは、下女部屋に戻って大いに頭を悩ませた。もし断ったら、もうこの屋敷には置いてもらえないだろう。晴季夫人が言うように、客観的に見ればこの縁談は、身寄りのない自分にとって悪い話ではないのかもしれない。母の素性11